3/27のKentaro’s voice読んで、
すげーや、この人!
と諸手を挙げてひっくり返りたい気分になりました。
良いパンチがきて、新鮮なショックを受けた気分。
小林賢太郎という人は、生粋のコント職人。
なんとなく東京が終わると気持ち的に終了な気が
東京の人間はしてしまうけど
札幌までが『TEXT』という
当たり前の姿勢を改めて確認させて頂いた気分。
純度100だ~
純度100のホン書きに純度100の相方。
誤魔化さないから、誤魔化しがきかない「劇場の客」に喜ばれ愛される。
話がそれますが、
数年前に行った「エミール・ガレ展」を思い出しました。
ガレのガラス作品の印象といえば、実物を見る前は、「あぁ、鑑定団によく出る有名なガラスね。高価なやつね」くらいにしか思っていなかったのですが、実際実物を目にした時、その作品に対峙した時、作り手の魂をあまりにもがつんと感じてしまった為にその場で動けなくなってしまいました。
この人の作品は「わ~高そう~何百万円かな~」なんて軽口たたいて通り過ぎるなんてことしちゃいかんのだ、軽く流して見てはいかんのだ!そう思えて、一々の作品を時間をかけて見つめながら、「感動」を通り越したところにある「ガレという魂そのものの確認」をし続けました。
ガレ本人にはもう会えない。でもここにガレがいる。
それを作った人が目に見えなくても、作品にその人が宿っている。
作者と会えなくても、そこに、目の前に、その人そのものがいる。
私が見た「ラーメンズ」も、同じようなことだったのかもしれない、と感じます。
モノ作りとは作品主義だと思うのです。
板の上に乗っけられたものがすべて。
解説なし。補足なし。
何故ならそこにもうすべて乗せちゃってあるから。
作品を上演し終われば、職人は現場から一旦離れて
どうすればもっとよくなるのかを考える。
「次」を考え続ける。
1日22時間、考えなければならない、ではなく、
考えたい、のでしょうね。
貴重な時間、アンコールに応えてしゃべってくれて感謝でした。
このテンションでの札幌、うらやましいです!
大千秋楽まで、お二人とスタッフさんが気持ちよく頑張れるよう、
引き続き祈っております。