ここのところ舞台三昧。本数については観る人はもっと観ているだろうから、数というよりは‘気持ち’が舞台にどっぷり。
私に芝居にのめり込むきっかけを作ってくれたのは佐藤B作さん主宰の東京ヴォードヴィルショーである。
10代の終わり、その舞台はあまりに衝撃的で、終演後、今観たものはなんだったんだろう?とぼーっとしていた。しかし、帰りの電車の中でずーっと色々な役者さんの顔やセリフや場面が頭の中をぐるぐるして、まるで熱病にかかったかのような状態で30分ほど電車に揺られていたことを今でもよく憶えている。
まだWAHAHA本舗の面々が在団中の頃。「エロ・グロ・ナンセンス、笑いのパンチが乱れ飛ぶ」― まだそんな劇団結成当時の魂が色濃く残っていた頃。
ヴォードヴィル熱にうかされ、その後約10年、春は紀伊國屋へ、秋は本多へと、彼らを観に通い続けた。
同時期に夢の遊眠社にもはまった。これまたわけのわからない熱をもらってしまった。心の中のある部分の開放、そんなことを教えてもらったのかもしれない。解散公演まで、とにかく野田世界、遊眠社世界に浸っていたかった。
この「熱」の正体、あるいは「熱」の持つ意味、これらを実はよくわからないままそれぞれの劇団に通っていたんだな、「笑い」や「衝撃」の裏側には作者のどんな思いや意図があったのだろう、それを改めて知りたいな、そんな風に今思っている。
きっかけは、つかさんが亡くなったことで、つか作品について言及されたいくつかのツイートで、観る者にも傷を負わせるようなあの強烈なつか世界の裏側にあるものは何か、という話を幾つか拾い読みしたことによる。
つか作品を観たのは2本だったかと思うが、私はあまり受けつけなかった。しかしつかさん独特の「熱」は十分に感じた。
激しい熱さで作品を作り、稽古をし、客席の客にも心の中で役者と同じ傷を負わせる、そんな印象。その熱が持つ意味はわからないが、壮絶なパワーを持つ人であるという理由から、つかさんの存在は私の中で、好き嫌いは別にして、イコール演劇、であった。
観劇によって帯びる熱の原因には喜怒哀楽、様々な要素がある。
劇を観る喜び、あらゆる種類の「熱病」を、私は今でも劇場をさまよいながら求めている。
「熱」を持ち帰らせてくれてこそ真の演劇、それが芝居にはまってからの持論である。
命を削り、傷を見せ、血を晒すことがすなわち創作である、それが私の中には理想、いや本心として、ある。
若い世代になればなるほど、そんな泥臭い芝居には嫌悪を示されるだろうか。
いや、これは世代ではなく、個人の嗜好である。だから、若い人向けには中身もソフトで、なんて考え方は頭が固いのかな、とも思える。自分の知らない世界を大人が晒して見せてくれたことで衝撃を受け、舞台にかぶりつく、そんな私と同じ経験をする若者がきっといる。その世界を見続けることで「妄想」と「現実」とを考え分ける力をつけ、「妄想」の中から抽出した「現実」をもって次を創造していく人々がきっといる。
作っている人がどんな意図を織り込んでも、板の上に乗ってしまえば、あとは客が自由に感じるのが舞台作品。
その裏に何が潜むのかわかるまでに時間がかかるし、あるいはわからないで終わる場合もある。
いずれにせよ、「出会い」という意味でも良い「熱」を観た者にもたせてほしい、演劇界にはそれを求めている。出会いも、重ねる逢瀬にも、「熱」が必要。作る人に対しては過酷な要求だが、観る方だってまあまあ命かけてるよ。まあまあ、というのは照れた表現ですよ。言い方を変えれば、どうぞ自由にあなたの中に潜む熱を晒して下さい、私は受け止めます、という一人の客からのメッセージでもある。
最近久しぶりに観た野田作品や鴻上作品は当たり前だが「前進」していた。
時代と並走して、若い人にも、どんな人にも平等にメッセージを発信していた。
作る人の「熱」と観る人の「熱」が、これからも各劇場で溢れて、そこかしこで演劇が持つ意味を老若男女たくさんの人が体感できるといいな、と思う。
たくさんの作家さんが様々な工夫で自分の世界を観客に突きつけている。
作家さんの数だけ、「熱」の種類がある。
何十年もこんなわけのわからない「熱」に浮かされて、とどのつまりは何が言いたいのかも明言できない。明言できるまで、演劇熱にはとりあえずやられ続けようと思う。
明言できちゃ、面白くないのかな。