続きです。
あんまりスカステもきちんと見ていないので、独断的感想も含めて。
最後の謝罪のシーン。
シェイクスピアの登場人物のセリフを借りながらも、役者としての自分に徐々に戻ってゆくキーンを見つめるプリンスのまなざしが、キーンへの想いをあらわしているように思えました。
公爵夫人を諦めろと言った理由のひとつに、同じ人種である我々の輪から離れないでくれという願いもあったのではないかと感じました。役者としてのお前が恋愛を楽しむのならいい。しかしその本分を忘れてはならぬと。
役者としてのキーンを誰よりも好きなプリンスによる、“お前は一生役者である”という考えで「演出された謝罪」によって、キーンがより深く、あるいは狂気に近く、「役者」になっていく様を見つめて満足していたのではないかと。
このシーンは轟さんも見たいのだけれど柚希さんの表情も見たくて、泳ぎまくるオペラグラス。結局1回目はキーンを、2回目はプリンスを、じーっと観察。
シェイクスピアの主人公を演じることによって自分を失うのではなく、
それによってエドモンド・キーンを作り上げるのだ ―――
役者として生きる人の宿命。
そこに役者・轟悠を重ねて見てしまいました。
轟さんはキーンのように自分が何者なのかわからなくなってしまうような役者ではないと思いますが、芝居が好きで、魂のこもったものでなければお客さんには伝わらないという気持ちで日々精進されている人。役者として常に期待され、追いかけられている立場に立つ「孤高のチャレンジ」の日々の人であることを思うと、胸が一杯になるのです。
轟さんは、星組のみなさんは、
この「Kean」で何をつかんでその幕を閉じられたのでしょうか。
芝居好きには役者さんの成長がなにより楽しみ。
次に拝見するみなさんが楽しみです。
最後にもうひとつ。
乱闘シーンでのあかし(彩海早矢)の殴られっぷりが見事でした。
寸止め上等ジェンヌ。かっこいい。
そしてやはり私の目はどいちゃん(鶴美舞夕)を探してしまうのでした。
このふたりは大抵セットでいるし、大きい人々なのですぐ見つかりますが。
今もあるというTheatre Royal Drury Laneに行ってみたいな。
そして今後もシェイクスピアについて知っていきたいです。
星組さん、やっぱり好っきー!