もしも・・・@「丸の人」

賢太郎さんのお誕生日に『○-maru-』を見ていて、そういや「丸の人」のエンディングって、色んな想像ができたんだよなあ、なんて改めて思い出しました。

で、あの絵描きさんのその後、というか、あの続きが思い浮かんだので、書いてみます。思い浮かんだまま書きます。すんごい長くなりましたが。。

― 雪の夜の明くる朝 ―

「へーっくしょんっ!」
ぶるぶるぶるっ。
目が覚めると、辺り一面は銀世界でした。

「・・・目が覚めたか」

絵描きは不思議なものを見るように、銀世界の公園を見回しました。

「・・・立つか」

ゆっくり立ち上がると、冷え切って固まった身体を伸びでほぐしました。

傍らにはキャンバスとコートと黒い丸と。
彼は帽子を被り直し、コートを着ました。
キャンバスと黒い丸は、公園に置いていくことにしました。

ため息をひとつついて、のっそりと歩き出します。
公園の出入り口で立ち止まり、後ろを振り向くと。
黒い丸がゆっくりと転がり出して、白い雪の地面をころころと彷徨ったかと思うと、忽然とその姿を消してしまいました。

誰もいない公園。
透明な誰かに操られて、透明な雪だるまにでもなったのでしょうか。

「消えちまいやがった」

雪の上にはぽつねんとキャンバスだけが小さなモノリスのように立っています。

すべてが、もうどうでもいいことでした。

彼は思い切って公園の外を歩いてみることにしました。
恐る恐る。
思いのほか、動けるはずがないと思っていた足が、結構な速さでどんどん勝手に歩いていきます。

「なんだい。普通に歩けるのかい」

まるで人事のようにつぶやきながら歩きます。
と、足元に何か四角いものが落ちていました。

「ん?」

身体を屈めて見てみると、それはサイコロでした。雪に埋もれた白いサイコロ。

「なんだ。四角いもんかい。興味ないや」

ぷいっと歩き出そうとすると。

<よく見てごらんないさいよ>

どっかで聴いたような声が聴こえてきます。

「え?なんだって?」

<その四角の中をよく見てごらんなさい>

彼は訝しく思いつつ、もう一度そのサイコロを眺めてみました。

「・・・ああ、なるほどね。四角の中に丸が並んでるというわけか」

つまみ上げてみると、それは実に肌触りのいい、手に馴染むサイコロでした。

<振ってごらんなさいよ>

「はあ?」

<振って出た丸の数だけ歩いてみなさいよ>

ばかげてるね、と口の中でつぶやいて、彼はぽんっとサイコロを道に捨てました。すると、途端に、足が勝手にぽんぽんぽんと歩きます。

「な、なんだ!?」

<3の目が出ましたね。さあ、続きを振ってごらんなさい>

「・・・まあ、いいか」

彼は朝が来た時点で基本的に人生どうとでもモードだったことを思い出して、えいやっとばかりにサイコロを拾い、再びぽんっと振りました。
まだ雪の残る道にすぼっと納まるサイコロ。白地が雪に紛れ、四角い輪郭がぼやけて、丸い目だけがこちらを見ているような様子に、彼の心は緩みました。

3、3、5、6・・・
サイコロを振っては歩き、振っては歩き、大きな通りに出れば曲がりやすい方へ曲がり、いくつもの家や建物の前を歩き、とにかくいろんな方角へ進んでいきました。

1。
初めて赤丸の目が出て一歩踏み出してからふと目を上にやると、そこには文房具のお店がありました。
元絵描きの彼ですから、文房具店は馴染みがありそうでないお店でした。売っている画材といえば子供用の不透明水彩絵の具くらいしかありませんでしたし。
赤丸の目をじっと見てから、彼は大切そうにそのサイコロをポケットにしまい、何を考えるでもなく文房具店に入っていきました。

「いらっしゃい」

お店番はおじいさんがひとり。

どうも、と彼は会釈をして店内を見て回ります。

「ああ、あなた。丁度いいや。これ」

おじいさんが彼になにか四角いものをひょいっと見せました。

「これ、古くて色あせしてるから処分しようかと思ってたけど、あなたにあげますよ」

その四角いものとは原稿用紙の束でした。小学生が使う四百字詰めの。

「ああ、いりませんよ。使いませんから」
「そうですかな?いや、使ってみたらいいと思います」
「・・・書くもの、持っていませんから」

彼は絵筆以外に書くものは持っていませんでした。

「じゃあ、これを」

そう言って、おじいさんはちびた鉛筆を一本、原稿用紙の上ににひょいと乗せました。

「芯がつぶれてきたらまたいらっしゃい。削ってあげます」
「・・・」
「じゃあ、これも」

おじいさんは、丸いおにぎりをぽんっと乗せました。

「はぁぁう」

彼は原稿用紙と鉛筆とおにぎりをセットで受け取って、お店から出ました。
しばし、店の前に佇み思案。

<書いてみたらいいじゃないですか>

「何をだよ。いきなりこんなもの渡されても」

彼は原稿用紙をじっと見ました。見ればきっちりと列をなして、‘四角’がたくさん並んでいるではありませんか。

「かーっ、なんだい!四角四角四角!むかつくなあ。嫌がらせかよ!」

<じゃあ、そのむかつく四角をどうしましょ>

「・・・」

見れば見るほど、整然と並ぶ四角が憎たらしくなってきます。

「よし!この四角の中を隙間無く何かで埋めてやろう」

彼はサイコロをポケットから出そうとして、止めました。

彼は元来た道を、来た通りに逆戻りしました。
そして、あの公園に帰ってきました。

ベンチに積もった雪を掃い、濡れないようにコートを広げ、原稿用紙をその上に広げて、自分はしゃがんで鉛筆を持ちました。椅子になるようなものはありませんでしたので、我慢しました。
片手に鉛筆。片手におにぎり。

「・・・さて、何を書こう」

<丸太郎はダメですよ>

「わかってるよ!!」

間髪いれずに返します。

目を泳がせて考えていると、彼はあっと声をあげました。
公園の真ん中に大きな雪だるまが立っていたのです。眉毛と目と鼻と口もちゃんとついています。きっちりとしたバランスでつけられた目鼻が、却ってその表情までも冷たい印象にしてしまっていました。

そして、その傍に若者がひとり。その若者が彼と同じようにキャンバスに向かって、その雪だるまを白い絵の具で描こうとしていたのです。黒い下地を塗って、その上に白い丸を描いて。何が気に入らないのか、またそれを黒で塗りつぶして、また白い丸を描く。何度も何度もそれを繰り返します。

「黒い絵の具も白い絵の具もあんなにたくさん買えるのか。金持ちだね~」

繰り返し、繰り返し。白、黒、白、黒。

やがて、若者は頭を抱え、キャンバスと雪だるまの間にしゃがみこんでしまいました。

「あーあ、めげちゃってるよ」

つくねんと、無表情のまま佇む雪だるま。
真っ黒なキャンバス。

「しゃがんだ格好が丸っこいねぇ」

丸くうずくまる若者と、硬く無表情な雪だるまを見ている内、彼の中に何かがこみ上げてきました。

「・・・四角いキャンバスだけが、世界か?」

思わず口から出る言葉。

と、若者はすくっと立ち上がり、パレットナイフを握り締め、あろうことかキャンバスの真ん中にそれをざくりと突き刺しました。ざくりざくりと突き刺していく内、とうとうキャンバスには大きな穴が空いてしまいました。

「なんてことするんだい」

黒いキャンバスにぽっかり空いた穴。
かつて、彼の胸に空いたのと同じくらいの大きな穴。

彼は自分の胸に手をあてて、目を閉じました。
ごくりと唾を飲み込んで、ゆっくり目を開けました。

すると、若者はどこかへ消えていました。
彼は慌ててキャンバスに駆け寄ります。残されたのは穴の空いた真っ黒なキャンバス一枚。
持ち上げて大きな丸い穴を覗きます。

すると。

穴の向こうの雪だるまと目が合いました。

なんということか。

穴の向こうの雪だるまは、微笑んでいました。
穴を通して見る雪だるまは、微笑んでいたのです。
時間が止まったようでした。

しばらく雪だるまと見詰め合ってから、彼はそっとキャンバスを降ろしてみました。

すると。
そこに雪だるまはいませんでした。

あっと思うと、手はキャンバスを掴んでいませんでした。

そこは、元の、一面の銀世界。
振り返れば、キャンバスは元のキャンバスに。黒い丸は黒いままの丸に戻っていました。

「そうか」

彼に見えたもの。
彼に今だから見えたもの。
ぽっかりと空いてしまった大きな丸の向こうには、また別の風景がある。
いや、今まで見えていなかったものを見ることができる、そんな‘窓’ができている。

「そうかそうか」

彼は急いでベンチのテーブルに戻り、鉛筆を持ちました。

<書き始めるんですね>

「おう」

それだけ答えると、彼はまず物語のタイトルを書き入れました。

『丸の人』

<丸っこい字ですね>

「うるさいな」

<女の子の字みたいって言われるでしょう>

「うるさいっ」

彼は耳元のくすくす笑いは気のせいということにして、必死に鉛筆を走らせました。走らせて、走らせて、ぱたっと鉛筆を置きました。

<どうしました?>

「鉛筆の芯の先っぽが潰れた。削ってもらいに行ってくらあ」

<サイコロの出番ですね>

「いや、もう振らないでもいい。あの店までなら、いけるさね」

彼は立ち上がり、伸びをしました。コートを着て、また帽子を被りなおして、原稿用紙を大事そうに抱えて、キャンバスと黒い丸に、また戻ってくるからな、と小声で告げて、そして歩き始めました。

「あ」

再び歩き始めてから思い出したように彼は尋ねました。

「ところで・・・、おまえ、誰だ?」

声の主は、言いかけてやめました。

「なんだい、だんまりかい。まあ、いいや」

 

≪四角ですよ≫

 

と言ったところで、笑われるか、呆れられるか、どっちかだろうとわかっていたからです。
そして声の主にはこんなこともわかっていました。

やがてかつての絵描きは、四角も愛するようになるであろうということを。その四角い面をいくつか合わせて立体にし、箱を作るであろうということを。

箱ができたら、その箱の中からは、人々の心に響くものが次々とまろび出てくるであろうということを。

四角い箱の中身は、暖かさで輝く確かで大きな‘丸’である、ということを。

彼が歩く道はいつの間にやら雪も溶けていました。
そしてきれいな夕焼けが彼や風景を染めていたのでした。

(おしまい)

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