誰の所為か

秋葉原の通り魔事件のニュースを見て。

犯人のネット書き込みの中に
「自分が負け組」の理由として
どうせ「すべてが自分のせい」「自分が悪い」のだろう、
といったような言葉を見つけまして。

世間的に見たら私なんかは「負け組ド真ん中」ですよ。
(この勝ち負けの分類は全くもって意味無し)

もし、今の自分が「負け組」だとしたら、誰の所為(せい)?

歳を重ねるにつれ、「自分の所為」である確立は高くなっていきます。

しかし、では100%「自分の所為」であるのかといえば、
それは、幾ら歳を重ねた人であっても、そんなことは無いと思うのです。

「自分の力ではどうにもならないもの」は存在する。
それは自分が自分で発見して、認識して、
それから、自分を分析することで、
その存在が明らかになる。
明らかになったら、悲嘆や自責をするのではなく、
頭の中の、ちょっと別の所に置いておいて、冷静に見る。
冷静に見ながらも、「弱い自分」を慈しむ心も、
一緒に持ってみるといいかもしれません。
「自分の所為だけではないこと」は、他人にはわかりづらいことだからです。
せめて、自分で、自分をわかってあげることから始めたい。
でも、その存在をわかってくれる人と出会えることもあると思います。
また、「どうにもできない」と思っていたことを打開できる瞬間にも出会えることがあるかもしれません。

だから、何事も決めつける前に、一呼吸置いて考えてみたい。

私は、「ダメな自分」について思う時、そんな風に思考を持っていってみています。
0か100かで、物事を考えなくてもいい。
思い詰めて、悪い方向に行かないでほしい。
もっと、世の中が、やわらかく、動いて行きますように。

事件の真相から外れた記述となってしまったかもしれません。
でも、書いてみたかったことなので。
どうしたら、こういう犯罪を止めることができるのかしらという、思案も含めて。
被害に遭われた方々のご冥福をお祈り致します。

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