10年以上前、「私の東京物語」という写真+エッセイ本と出会い、
稲越功一さんのファンになった。
猫が好きなので、その表紙の写真に強く惹かれ、またその頃モノクロ写真にも興味があったので、本を買い求めた。
稲越さんは有名な写真家さんなので、お名前だけは存じ上げていたが、その写真に惚れるきっかけとなったのは、この写真集である。
稲越さんの写真の良さを、言葉でどう表現したらいいのかしら。
ずっと考えてはいたが。
やはり同じ頃手に入れた「記憶都市」の、日野啓三さんによる序文に、ああこれだ、という一文があった。
三行ほど引用させて頂きます。
都市の中で荒地を幻視し、物自体を透視するその映像は、シャープに美しく、不気味に豊かだ
(「記憶都市」1991年第二刷より引用)
例えば、ゴミを被写体として写す。打ち捨てられたミカンの皮や軍手や、それを寄りで撮る。その写真はただのゴミには見えない。何か、息吹、存在、そんな有機的な鮮やかなものを感じる。
廃墟や廃棄物を撮る人は多い。でも、稲越さんの写真のように、それ自体が息をしているような錯覚を見ていてできる写真は、私にとっては少ない。
「私の東京物語」の表紙の猫。私はついこの写真を見ると、想像する。
カメラを持った人が立ち止まり、写真を撮りたがっている。
猫は慣れていて、「写真?ああ、いいよ」なんて言って、少しポーズをとってくれている。被写体に慣れている猫さん。また写真家か、なんて。
記憶都市―RUST CITY TOKYO 稲越功一 川本三郎 |
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私の東京物語 稲越功一 |