タナトスについて考えた昔

お友達のブログを拝見して、そこから派生して考えたことなど。
(以下はお友達の記述とは何の関連もありません)

唐突ですが、みなさんは今まで生きてきてどのくらい
「死にたい」
と思ったことがありますか?

私は覚えていないくらいたくさん思ったことがあります。
中学生がピークだったかな。それから20代の終わり。
フロイトのいう「タナトス(死の本能)」について知りたくて、20代の後半に関連のありそうな本をたくさん読みました。(そのお陰で、「死ぬ」という具体的な思いが、「死が意味するもの」という別の興味へと摩り替わり、ちょっと楽しかったです)

そのままの意味で「死」を考えたこともありますが、99%くらいは「死にたい=現状を突破して違うところへ行きたい、違う生を生きたい」だったと思います。過去を装いたいですが、今でも突破の意味で死にたいと思うことはあります。

でも今から振り返ってみれば、それらの「死にたい」は自分にとってはただのファンタジーだったということを認識できます。
自分を殺して自分以外のもっと良い人生を生きたい、そんな妄想です。
自分を殺せば、次の自分の人生へと乗り換えることができる、そんな勝手な妄想です。

本当は死にたくないのですよ。
裏を返せば、「死にたくない、死にそうな自分を何とかしたい、死なせたくない」なのです。
40歳を越えて、父が亡くなり、母も歳を取り、私を取り巻く現実はどんどんシビアになっていきます。
正直なことを吐くと、今精神状態で辛い時もあります。力が衰えてるから、ああ、マジもう死んじゃって楽になりたい、なんて心で呟くこともあります。

でも、死んではいけないのです。

年齢を重ねて実感していることは、自分の命は自分だけのものではない、ということ。
独り身の友達が何人かいて、親がいなくなれば、自分なんかいつ死んでも良いんだよね、なんて冗談で話しますが、そうじゃないんです。

自分が死んだくらいで誰も悲しまない、と孤独に思っている人はたくさんいると思うけれど、必ず誰かに影響を及ぼす。これは自分で気づいて、実感していくしかないのですが。

ファンタジーとして「死」への思いを自由に考えていた頃が懐かしいです。
私にとって最早「死」はファンタジーではありません。

まだ学生だった頃、精神的にちょっとパニックになったことがあります。
その時私はどうしたか。辞めたばかりのバイト先に行って、卒業までの短い期間ですが、また雇って下さい!とお願いしに行きました(笑)
厭世的な私は、どうしても考えが内側に向かってしまい、それを解消するには社会と関わること!という処方を理解していたから。

今現在、精神的にダークになったら、掃除とか苦手だけど料理とかをすると、無心になれます。不器用なのかな、DVDを観るとか出掛けるとか、遊ぶと余計にダークになるのです。
希望通りに働ける場所を探したくて、結局長いこと働いていませんが、その内つまらないことでも仕事に没頭できる機会ができれば、きっとダーク加減も少しは減るのでは。
(職場には職場の、ダークが潜んでいるのですがね~うっき~(- – # )ですね)

最近の自分には「死にたい」と思うことを禁じています。
でも辛さを吐露したい時は素直に自分の気持ちを受け入れてあげようと思います。

「死」を考える=「生」を考える
これからも付き合っていく課題なのだなと。

コメント

  1. じゅんち より:

    死を考えると生にたどり着くの、判るわ!
    生活って、生きてることを活かすことなんだって。
    なるほど!と思ったよ。

  2. より:

    ●じゅんちっち
    いや~文系人間て、こういうこと考えるの好きで~
    てへへ。
    若いうちに「死」を思うのは、それが遠いところにあるから、
    だったのかもしれないな~、なんてことも、今思いついた。
    エネルギーの発散に「死にたい」って思っても、所詮遠いから届かない。
    (深刻な考えを持っている人は別だけれどね)
    「死」を思うと「生」に辿り着けることは幸せなことだと思う。
    まだ希望を失っていないということでもあるよね。
    若い内に、こういうことをつらつらと考えることも意義があって良いかも~
    >生活って、生きてることを活かすことなんだって
    →おお!そういうことか!
    生活を大切にする→シンプルだけど、人が幸せになる基礎として、愛しい営みだと思うっすv

タイトルとURLをコピーしました