さださんのアルバム「おもひで泥棒」を聴きながらこう考えた。
「春の鳥」
さださんの歌には<見守る男の愛>と<見守られ愛された女性がその男性の元から旅立つ時>のモチーフが多いのかなと思った。
さだまさしを軟弱、と誤解している人もいるかと思うが、さださんはとても男気のある強くてやさしい、男らしい人であると、長いファンでいる間に、私は何度も認識している。そんな人が書くラブソングは本当に心の芯に染み入る。そんな人が見守る愛を歌い上げると、それはもう広くて暖かな大地のようである。
この歌を聴いて、そういえば私も昔写真を焼いたことがあるなあと思い出した。
なんでそんなに?と今では思うくらい好きだった人と一緒に撮った写真を焼いた。儀式をしてみたかったのだと思う。想いを断つ儀式を。結婚したという知らせを聞いただけで一晩眠れなかった。単なる片思いだったが、あんな想いをしたことは生涯一度だけではなかったか。ただね、家の中で焼いちゃったの。昇華されないよねぇ、そんなことしちゃ。天に昇らせないとね。
「ひとりぽっちのダービー」
小説にて読み、そのエピソードとさださんの取材執念に感嘆した元競走馬の歌。
我が家は父が競馬好きだったため、幼い頃の日曜の昼についていたTVは常に競馬中継だった。今は母の方がハマっている。私もそんなわけで競馬には親しみがあり、詳しくはないけれど今も重賞レースは見られる時は見ている。人が勝手に見る夢を乗せて、頑張って勝ちにいく馬たちを心配し、応援しています。
もし、さださんが挫折せずにヴァイオリニストとして成功していたら。さださんの性格上、クラシックの音楽家になっても、きっと大衆に寄り添う活動もしてくれると想像できますが、クラシックに親しまない者にはさほど関心は持てない存在になっていたかな。王道に挫折、結果大衆向けの音楽でたくさんの人に浸透している存在。その躓きが、有難かった、そんな大変失礼なことを思ってしまったファン一人。
「関白失脚」
今年の今夜も生でさだまさし年明け一発目がこの歌でしたねぇ。・・・あれからもう1年!恐怖。歳月恐怖。手拍子する国技館満員の客に、手拍子するな~、で爆笑かって。この歌もな、おもてなし感満載ですよ。ヘタな芸人よりよっぽど芸人だよ。この精神は生まれつきでしょうね。見習えっていっても見習えるものではないな。は~、大好き。
「虹~ヒーロー~」
その道において殿堂入りしている人であるのに、‘伝説の向こう側に逃げ込める’のに、まだ歌い続ける。それが本物なんだよなあって。歌うこと、演じること、描くこと、書くこと、すべて、死ぬまでやりたいからやる、それを本気と呼ぶのではないでしょうかね。
人によって感動を覚えるポイントは様々でしょうが、私はそんな本気を感じた時、感動に震えます。
と、急に色んな想いが巡りましたということで。