シティボーイズミックスPRESENTS「動かない蟻」~ 1

2011/9/11(日)13:00 & 9/19(月祝)18:00 於:世田谷パブリックシアター
2011/9/24(土)18:00 於:シアター・ドラマシティ
今年は3回拝見しました。
大阪へも遠征できました。
感想を書いてみます。
ながーくなりましたので2分割で。


今回は、なんだかすーっと感想やらレポやらを書こうという気持ちにならず。
まずは素直で単純な感想を↓
観劇1回目・・・ふーん、まあ面白かったな、って。でも‘見た後に何も残らない’を目指しているはずなのに何かが残った。今回のは、嫌いではないが、なんだか手放しで好き、とも言えない感じ、だなと。
観劇2回目・・・きたろうさんが今回は演劇っぽいと言ったことに、なるほど、と思った。話の筋を確認した。
観劇3回目・・・会場が変わったので少し新鮮味があった。しかし、観終った後に残ったものは、「ん~」。
総合的に・・・観た!面白かった!という爽快感がない。じゃあ、すげぇ!新しいことに挑戦したね!(きたろうさんが言うところの)前に倒れたね!っていうインパクトが残ったかというと、それも、ない。
結果・・・まあこの作・演出家でやると決めてやったんだね・・・といったところに気持ちを落ち着けるしかないのかなあ、と思うことで自分のもやもやと妥協しました。天久さんのファンの方は嬉しかったのではないでしょうか。
自分は、なんか、もやっと、だな~
もやっとなので、感想文というよりは考えすぎて妄想が暴走している感じです。ながーい暴走妄想なので、読んでやってもいいという方だけ読んでみてくださいまし。
以下、※意見には個人差があります※ということでm(_ _)m
新しい演出家になったばかりだから。まだお互いを分かり合えていないから。そのせいなのでしょうが、<この作品を本当に面白いと思ってこの世界に浸っている>、それを舞台上のシティボーイズの御三人さんから、感じ取ることができなかったなあ・・・
勿論今までも作家・演出家が変わるたびに、舞台上から「これでいいでしょうか?面白いですか?」というコトバが聴こえてくるようだ、とは思っていましたが。
なんというか、きたろうさんからは「とにかくやらねば」という声が響いてきたように感じ、大竹さんからは終始戸惑いが発信されているように感じました。(あくまで私見ね、くどいけど)斉木さんからは・・・特に何も感じなかったかも(笑)三人へのこの感じ方はもうずっと、何年も同じように感じていたことではあるのですが・・・
でも今年は改めて考えちゃったな~
常に新しいことをやりたい、それはわかるが、本当にその台本に共感してやっているのかな、ってことを。
大人の事情を踏まえれば、そんな青臭いこと今更言われたって・・・って話ですよね。いやわかります。(ハコ押えが先とか・・・もっと下世話な話とか・・・)
もうずっと、毎年やらなきゃ、っていうのがどうしても前面に出ちゃってるな~って思っていた。やりたいという気持ちも勿論おありだとは思いますが、歳を重ねるごとに、生産される情熱の分量が作家さんの作りたいものに追いついていかないというか。別に、ただ面白ければいいのだから、立派な‘作品’を作る必要はないのだけれど、そのただ面白いだけのばかばかしさを演じる本人たちがまずは楽しんでいるのかどうかという問いが常に頭にあり。一観客、私には即答での答えはあまり返ってこなかったこの数年。
で、今回の「蟻」。
演劇っぽくて、その分笑いが少ない、というのが世間の反応として多くあり。
私は真面目に芝居をするシティボーイズも観たいので、笑いが少なくても全く無問題。元々シティボーイズの笑いはバカ笑いする必要のない笑い、だと思っているので、静かな客席はむしろ居心地も良い。(演じ手たちは嫌だろうな~静かな客席・・・)
芝居全体的にトーンが統一されていて、所謂起承転結を逆から作る手法が鏤められており、更にその中に素直に作られた正調コントといったものまで含められていたりもするから、見応えは十分にあった。
ただね・・・やっぱり下ネタと震災ネタがネックだったかな~
コスモの親分のくだり、あそこがもっと違う表現だったら・・・(どう違えばいいのかはわからんが)
まんまなんだもん。そのまんまのストレートな下ネタをシティボーイズにやらせるかあ・・・と初見では深いため息をついた。過去作品にも下ネタがあったとは思うけれど、ここまではっきりとため息をついたのは初めて。きたろうさんにそれを被せるか(´・_・`)っていうのが一番です。そしてなんで大竹さんにホモセクシャルを?( ̄  ̄)(さっきの起承転結を逆から・・・の作り方だと誰かがゲイを演じるしかない、と勝手に想像はしますが。実際ゲイの方が見てどう感じたかしら・・・とも)斉木さんは・・・今回は飛び道具の中には入らなかったかなw(存在がもう飛び道具だから?)
他の芝居に比べるとそれこそ「ソフトな方の」エログロナンセンス(+差別ネタ)ではあるが。これってシティボーイズ、ハマりますかね?
ただのエログロではなく、震災に対する想いが込められているようなので、そこにまたおじさんたちが演る意味がある、ということなのかもしれませんが・・・
(→パンフレットで天久さんが震災後の想いとして「いまのやりきれなさや怒りをストレートに表現するしかない」と仰っていることを受けて)
巨大マゾヒストが象徴するものは何か、そして人間がマゾヒストに謝らなければいけないこととは、反省しなければならないこととは何か、という問いをぶつけられた衝撃は後からじわじわきているので、まあ、この場面をまるっと批判するつもりはありませんが。(大竹さんに対する良々さんのセリフが後から来たな~じわじわと)
なんかですね、正直震災のことをこんな料理の仕方で差し出されても、まず箸をつける気にならない、というか。1回目の観劇ではこれ、震災・原発ネタを安易におちょくってんのかな~なんていう見方もしちゃいましたし(→これは多分下ネタがきつかったので真面目に見る気が失せたから)。2回目でやっとそのやりきれなさや怒りっていうのがわかりましたし。いや1回目で分からない客として私がダメと言われればそれまでですが。2回目でわかるところがラジカルっぽいとも思えますが(ラジカルは何回観てもわからないか・・・)。
でも自分の中で残念だと思う気持ちの肝は更に別のところにあり。
作家さんとシティボーイズさん(他の出演者のみなさんは一旦置いておきます)とで、多分‘言ってやりたいこと’っていうのは同じなのだと思います。
ですが。
シティボーイズさんが作家さんのこの表現方法に乗り切れていない、そんな印象を受けたのです。
でも。
きっとシティボーイズさんはこういう、破壊とか突破を実現してくれそうな作家さんを、ずっと求めていたのではないか、ということも想像できるので、そこに乗っかろうという意気込みは伝わってくるようであったと、思えないこともないのです。
ただ、一観客の目には、そこに乗っかりきれていない御三人という光景が見えてしまった。そこが私にとっての一番の残念さ、だったのかな?と思います。満足げにやりきってるな~って思えればね、納得したかもね、って。
エロもグロもナンセンスも、演じている本人がとことん楽しまないと、客席に同等の面白さや熱って伝わらない、そう思うのですが、いかがでしょう。(私は昔の東京ヴォードヴィルショーに客としてそれを教え込まれましたよ)
(つづく)

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