2007/9/1(土)15:00開演 & 9/15(土)15:30開演
実在した天才シェイクスピア役者、エドモンド・キーンの物語。
演出家も出演者も口を揃えて「難しい」と言ったこの作品。
大きな、そして伝統のある箱でのチャレンジ、日生劇場公演。
長いので2回にわけます。
私はブロードウェイ版がどんなものか知りませんが、
おそらく「宝塚が観せる、宝塚らしからぬもの」、別の言い方をすれば「宝塚にもできる、既存の宝塚のイメージを超えた先にある更なる可能性を観せる舞台」、そんなものに演出家も出演者も「日生劇場」に於いて挑戦したいのではないか、そう勝手に私は受け止めて、心積もりをして、拝見いたしました。
ポスターを見ると、まるで轟悠さんのひとり芝居のようです。
(このポスターの意味は芝居の最後にわかる仕組みになっていますが)
演出の谷正純さんはパンフレットの中で、「宝塚でこの作品を上演するにあたっては轟の存在なくしては不可能だったでしょう」と書かれている。スカイステージにおいても「どうぞ轟悠を観に来てください」とおっしゃっていた。
確かに、この役どころは轟さんの技量に頼るところが大きいのかもしれない。私は個人的に轟さんのファンなのでそう言っていただくとファンとしても期待と誇りを感じます。しかし、当たり前のことですが、これはカンパニー全員を観てこその「Kean」である、と私も観る前から勝手に鼻息を荒くしておりましたので、せめて谷先生には「轟と対等に芝居をするであろう星組生を観に来てください」くらいのことを言ってほしかったなあ、などとTVの前で思ってしまいました。まあ、そう言わせちゃうくらい大変だったのでしょうけどね。。
一線を越えれば狂気という紙一重的な天才。これは轟さんには難しいだろうなと思いました。「努力を忘れない天才」である轟さんのイメージとは違う役者像。轟さんの試行錯誤が稽古風景でも実際の舞台でも見て取れました。
私はタカラジェンヌとしてではなく一役者として轟さんを見つめていました。
勿論他のキャストのみなさんも「ジェンヌさん」ではなく「役者」として拝見しておりました。
上級生、下級生、そんなものを取り払うかのごとく、全キャストが頑張っていたと思います。
キーンとプリンス・オブ・ウェールズとの関係が一番よく物語っていたように思います。
キーンの轟さんはわざと自分は下賤な人間でございますといったことを大袈裟に演じてみせる。
プリンスの柚希さんは常に上からの目線を崩さず、キーンがばかげたものの言い方をしても小さく笑うだけの余裕を持って接する。
柚希さんの役も非常に難しいと思います。常に冷静で物静かで、キーンと対等に、あるいはキーンを押さえつける演技をしなければならない。上演中ずっとその意識を保ち続けた柚希さんには拍手を贈りたいと思います。
南海まりさんの公爵夫人も、立場を捨てずに恋愛を楽しみ尽くすという姿勢が、上演中ずっと保たれていた。
蒼乃夕妃さんのアンナ・ダンビーは、一人中流階級な役のせいかもしれませんが、それこそジェンヌさんではなく、その演技に外部の女優さんのような伸び伸びしたものを感じました。
崇拝から軽蔑へと変わる観客役のみなさんも迫力があってとてもよかった。
キーンへの野次には「観客、きっつーい!」と本気でびびりました。真に迫る群集心理。こちらも拍手です。
(つづく)