談志の「芝浜」に心が泣く

お正月の深夜にNHKで放送していた立川談志スペシャル。(地上波再放送)
見ておこうかくらいの気持ちで録画を見る。

落語は基本の話がわからないとその人流の面白さがわからないので、普通にやるはずないよな~って思っていた談志の落語はまだ少々敬遠の域。
何本か聴いてみると、発音がはっきりと聴こえてこないせいか、どうにも細かいところが拾えず、うーん、まだ聴くには我が耳が熟していないのかと思え、悩み混じりで聴いた幾本目かの演目「芝浜」。

50分近い予定時間にえぇ!?まあとにかく聴くか・・・と、渋々な聴き始めであったが、これがもう!聴くうちに聴いていくごとに、どんどん引き込まれていく。
途中から、なんでしょう、単純に‘泣き’と言えるような感情ではないのかもしれないけれど、心の辺りにさわさわと涙のようなものが温かく流れていく。

聴き終わってから調べてみると年末といえばこれを聴きたい!というような有名な人情噺であるらしい。(大晦日→‘おおつごもり’という響きが良いですよねぇ)

談志の「芝浜」が何故心に響いたのだろう。
この夫婦のやりとりは話す人によって解釈・表現が違ってくるらしいです。
他の噺家(咄家?)さんがどう演るのか知りませんが、談志の演る亭主・女房それぞれの人物像が良い。その他の噺を先に聴いて、なんだか登場人物をくっきり演じ分けない感じがするねぇ、なんて座椅子にだらっと座って聴いていたのですが、「芝浜」は一転身を乗り出して聴く始末。(背もたれにほとんど背中がついてなかった)亭主と女房をきちんと演じ分けて丁寧に進められるお話にどんどん情が移っていく。

考えてみた。何故そんなに気に入ったんだろう。
どちらの人間も全く悪人ではない。
亭主は酒が好きなだけで働けば腕の良い魚屋。夢の話だと合点がいけば済まなかったと素直に詫び、足りないお金は私がなんとかやり繰りするからとにかくこれから働いておくれと言ってくれる女房に済まない、ありがとうと繰り返し、酒を断って真面目に働く性根の良い男。
女房の方も(こちらが噺家さんによって特に演じ分けられるキャラクターらしいですが)世の女房に有りがちなずる賢さや計算高いところが全くない。何故金のことを隠していたのかと言えば、これがお上に見つかれば大変なことになる、隠す以外にどうしたらいいのやら検討がつかないという凡愚な女性。ことあるごとに亭主に感謝されることに申し訳なさを募らせながら3年という月日を過ごしてしまい、そのことで亭主が立派になったことすらもこの結果で良かったのだろうかと思い(←ここが考えさせられる肝でした)、騙したことを必死で詫び、別れないでおくれと懇願する。

胸になんの一物もない二人の3年間。
この夫婦の不器用な思いやりの描写に心打たれたのだと思います。
これで女房が「良いこと思いついた!亭主を騙して働かせてやれ!」だの「良い暮らしができるようになったのはアタシのお陰だ」だのを一寸でも匂わせようものならこんなに心を持っていかれなかったと思うのです。

人情噺ですから狡猾な人間が出てくること自体ないことなのかもしれませんが、談志の「芝浜」の夫婦愛の描写はより純粋。
そしてその朴訥な夫婦それぞれの演じ方に談志師匠の素晴らしい演技力・表現力を見たのです。

落語素人が語ってすみません。
言わばこれが自分の「芝浜」初体験。
三代目桂三木助のものも探してみようと思っています。
同じ噺家さんのものを何度も聴くこともした方がいいですよね。

そしていつか大晦日に誰かの「芝浜」を聴いてみたいものです。

コメント

  1. まめ より:

    私、今年は落語に力をそそぐイヤー2009です
    と、いいつつもその番組を見逃してしまったんですよ。
    テレビガイドにぐりぐりと丸をつけていたのに・・・談志さん
    古典をたくさん聞きたいなと思う今日このごろ
    落語・漫才と共通して好きなのは、想像力が膨らむこと
    頭の中で登場人物が動き出すようなプロの話術に心惹かれます

  2. より:

    ●まめさん
    お!そうなんすか?落語イヤー!
    話芸っていいですよね。
    語りがうまい人ほどこちらの頭に世界が広がります。
    人物や光景やその時節の空気さえ感じることができてナイス。
    笑って良いとこなのに何故かじーんとなってみたりもして。
    人の語りって癒しにもなりますしね。
    私ももっと落語を!イヤーにします ^ ^

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