今話題の阿佐ヶ谷スパイダースの「少女とガソリン」(於:スズナリ)に関する公演レポを各ブログなどで拝読していると、この公演が下北沢再開発に関する危惧とリンクしたものであるということが伺えて、改めて、下北が変わっていく途上にあることに気づかされました。
街が変わっていく、ということは、自分の思いとは別に、どんどん進行していってしまうものだという、一種の諦観みたいなものが私にはあります。
特に、大きく言って、「東京」という街は、いろんな人の思惑で、いろんな形に変化し続けさせられる忙しない街。古き良きものを保存するということがとても苦手な街。
それでもね、昔をちゃんと保っている街も存在するし。
具体的にはよくわからないけど、保つ努力をしている人々がいると思うし。
まあ己も諦観ばっかりしていては、いけないのだよな、とも思います。
下北は演劇や音楽に導いてくれる大切な街。
でもまたそれ以前に、ずっとそこに住んできた人たちにとって大切な街。
そこに住む人にとっても、ある思いを持って訪れる人にとっても、「良い形」で残るように、あるいは変わらないといけないのなら、まず住民ありきでの「良い街づくり」であってほしいと願います。
所謂小劇場系の演劇から離れていた時期が10年近くあったと思います。
再びその熱に火を点してくれたのはラーメンズです。
小林賢太郎さんのポツネンを皮切りに、彼らと関わった役者さんたちの公演にも興味を持ち、また下北に訪れるようになり、街を歩いてみて改めて、以前とほぼ変わっていない街の様子に、少なからず驚きました。
(気づけない変化が実はたくさんあるのかもしれませんが)
自分が勇んで通っていた頃と「匂い」が同じなんですね。
スズナリにはまだ「帰って」いませんが、外から見た感じでは、中もきっと変わっていないんだろうなあと推測できます。
スズナリは、演劇を演じる人にも観る人にも、特別な劇場だと思います。
渋谷のジァン・ジァンが消えた時、ひとつ「時代」みたいなものが終わったのかな、と思いましたが、スズナリがもし消えたら、同じ感覚を覚えるかもしれません。名前は同じで新しい劇場ができても、それはそれで、全く違う劇場としてとらえることになるでしょう。
演劇や音楽へのノスタルジーを持つ人々ばかりが下北沢について考えているわけではないので、ひとつの側面からのみ希望を投げるつもりはありませんが、演劇好き、芝居小屋好きの人間として、守れる場所は守れるだけ守られるといいな、と思います。
もし、芝居を観にいった先で、何か自分にもできることがあれば参加したいとも思います。
夢の遊眠社「回転人魚」から始まった私と下北沢の履歴。
いつまで同じ風景・光景の中で更新し続けられるのだろう。
もしラーメンズと出会っていなかったら、
下北に関しては本当にただの郷愁の一言で片付けていたかもしれない。
気持ちを現場に戻してくれたことに、
改めてラーさんには、感謝したいのです。
コメント
下北は小劇場の聖地です。
そして小劇場とラーメンズと曽我部恵一さんが好きな
私の聖地でもあります。
簡単に変えてほしくはないけれど、
どうすることがいちばん良いカタチなのかは
おエラい方々だけでなく、
みんなで考えなきゃいけないことですよね。
●ニワさん
そうそう、街づくりは、お偉方だけの思惑に屈してはいけないと思います。
下北沢の商店街のHPなどを見ても、
演劇の街として盛り上げていこう、
また、落書きなどをみんなで消して、
住みやすい気持ちのいい街に保とうなど、
地元レベルの努力もある中で、
都内にいくらでもあるような近代的建物や道路計画など、
誰に有益なのかが不明瞭な極端な改造計画には待って!と言いたいよな~と。
ただ開発計画に関しては自分、まだまだ不勉強なので、
また下北に行った際、または各HPなどでも、
色々知っていきたいなと思います。
曽我部さんか~
ライブハウスには入ったことないけど、
小劇場もライブハウスも、
守りたいですよね。
私たちにもできることがあるといいですね。