上の写真は「いさかい」開場までの時間を潰していた公園にてのものです。
開場を待ちながら、ベニサンについてあれこれと考えました。
ベニサン・ピットには過去1度しか訪れたことはありませんでした。しかし、その独特の存在感を持つ場所は、私の心の片隅にずっと特異な思い出として息づいていました。それはベニサン・ピットが普通の劇場ではなく、元染色工場を改造した劇場・スタジオであるというわくわくするような建物であることと、そこを拠点にした人々の最高水準での演劇に対する姿勢を至近距離で体験することができるという贅沢さ、このふたつがある特別な演劇の場であるということが理由です。
廃屋の中で自由に遊ぶ。自由に表現する。
有名だろうが無名だろうが、真剣に演じる人々が、演劇を渇望する観客の強い眼差しに晒される場所。
私が過去に観た作品はザ・ニナガワ・カンパニーの「1993・待つ」でした。
ニナガワ・スタジオ
http://www.ninagawastudio.net/J-What’sNew.html
蜷川さんの演出舞台で私が一番に感じる魅力は‘生々しさの再現’です。ニナガワ・カンパニーの若手が演じるオムニバスに、当時小劇場ブームと呼ばれていた頃の観劇経験の中にいた私は衝撃を受けました。役者と観客、役者と役者、生身のぶつかり合い。こんなものは他の劇団で見たことがない。‘ストレートな生’に観た後も鼓動が止まらない感覚でした。
次の日もある劇団を観劇したのですが、正直、ただの学芸会にしか見えませんでした。これでお金を取るのか、そんな厳しいことまで思ってしまった。
この劇場は、演劇人にとっても気持ちの上で敷居が高い、そんなことを拾い読みしたことがあります。
演劇の聖域。
「いさかい」開演前。会場内は真っ暗。客席に最小限の客電しかついていない。席番号を探すのも一苦労。そんな座席に座って暗がりの舞台や照明の下がる天井を静かに見つめていました。すると、何故か意味もなく、涙が溢れてきてしまいました。芝居が始まる前から泣いているなんて変だ。困った。暗くて良かった。
私は劇場という場所に異常に執着している人間です。どの劇場でも色々なことを敏感に感じています。
ベニサン、演劇を愛する人々の思いが凝縮されたこの劇場の、魂の訴えのようなものを感じたのでしょうか。
すべては永遠ではありませんから、いつか‘ある特定の聖域’も消えてゆきます。
新しい聖域を作れば良いことなのかもしれません。
しかし、‘ある特定の聖域’でしか作れないものがあることも事実。
文化を保護していくのが苦手な文化後進国ニッポン。
お金も無いただの演劇好きに出来ることは何だろう。
思い当たらないから、こんな拙い記述にて思いを綴っているのみであります。
来年1月閉鎖ということらしいですが、それまでまた機会があれば足を運びたいと思っています。
ご縁があって知ったTPTの芝居も続けて観ていければと思います。
何でこんなに泣けるのだろう。
建物の消失という物質的なことだけではないのかもしれません。
この気持ちが何なのかは、今後も演劇の現場を拝見することで、わかっていくことだと思っています。