さださんのコンサートに向けて、まだ聴きこんでいないアルバムを手が空いた時に聴いている。
今日は「逢ひみての」をじっくり聴いている。
そこで改めてじっくりと聴き歌詩を見た「落日」。
何年も前、さださんによって意識することとなった朱鷺のこと。
私が超今更言うことでもないが、ずっと抱えて、繰り返し繰り返し、その思いの表現方法を考られたであろうテーマが、ひとつまた昇華した形の詩なのではないかなと感じた。
以前テレビ番組のインタビューでさださんは「今の若い人たちはラブソングじゃないと聴いてくれないの」といったことを話されていて、ふむ、と私も微妙な気持ちになったものだが。
食べやすいものの方が誰しも手を伸ばしやすいということはわかる。
まあ、そうだよね、としか思うしかない。けど、それだけでいいのかな、と思う私は、多分まだ若いのだとも思う。
(私のように、食べやすいものよりも口に苦いものの方に見出せるものがたくさん潜む、と考える偏屈は、あんまり多くはないのでしょうか)
話を「落日」に戻して。
ライナーノートを読んで、その視点が、落日は朱鷺だけに訪れるものではないというところにまで広がりを持っていることを知る。
サビの「幸せになろう いつかかならず」という部分で、最初希望を持った歌なのかなと聞き流していたが、よく聴けば、希望の前に戸惑い、いまだどうしていけばいいだろうという苦悩が汲み取れる。苦悩の中にはいるけれど、でも、これからもどうしたら「幸せ」に繋がるのか、考えていこうと。
「前夜」のように少々キツイ歌詩の方が、心にダイレクトに刺さるけれど、「落日」の歌詩はじわーっと心の底に沁みて、諦観と希望と、その間にある言葉にできない泡立ち、つまりは思いの高低のすべてを感じることができて、これはこれで心に残る歌なのだなと感じる。
すーと聴きやすい歌ながらも重いテーマは確実に心に残る。いかにして伝えるか、を、さださんはずっと考えてきて、たくさんの歌でたくさんの形で今日も発信しているのだなと想う。
そしてこの歌のみならず成熟した期の歌々には、包容力をとても感じるのです。
私によって包容力=愛というのが最近の気持ち。
ふむ、そうか、この包容力がさださんのラブソングだという解釈もできるのだ、そんな風に勝手に結びつけてみたりもして。
さださんの愛の形をこれからも1曲1曲大切に聴いていきたいと思います。