震災から1年経って思うこと

もうすぐ東日本大震災から1年が経ちます。
去年1年間、我が家は嵐のようで、自分の心にはまったく他に対する余裕が持てなくて、正直震災について、原発について、知り、学び、考えなければならないことに関しても、あまりきちんと対峙していくことができませんでした。
しかし、このところやっと自分の心にも余裕ができて、震災にまつわる様々なことに少しずつじっくりと目を向けることができるようになりました。
本当に気持ちばかりの募金だけの去年から、今年はもっと復興と今後の日本のあり方について自分なりに考える年にしなくてはと、遅ればせながらようやく考えることができております。
昨日、例えば「瓦礫」というキーワードでTwitterを検索してみました。様々な意見が溢れていましたが、本当に被災地のことを考えているの?今被災者でなくてもいつか自分もという想像力をも持って発言していますか?その話は現地現場で聞いた話ですか?あなたが実際見聞した話ですか?など、なんだか疑問符ばかりが頭の上に立ち昇ってしまって、途中で見るのをやめてしまいました。
本当に聞きたい話、知りたい情報は、現場にいる人の声から。被災者でなければ実際その場所に行ったことのある人から。あるいはそこに故郷を持っている人、知り合いがいる人、大切な人がいる人・・・とにかくそこと密に繋がっている人から。
まずはそんな人を探したい。
ネットでも純粋に現場の様子や活動、必要とされていることなどを教えてくれるページを探したい。
国、政治、っていうでかいものに向かうにしても、そういう地道な見聞が大事でしょ。
家の都合で今まだあまり自由に出歩けない自分ですので、使えるツールを使って少しずつでも知っていきたいと思っています。
まずはそこから。
本当にゆっくりな頭でごめんなさい。
例えば震災直後、歌手は無力だと嘆いたというさださんが、(歌を歌うことなどの音楽活動ではなく)本当は現場に行って瓦の一枚でも運んだ方がいいんだよね、って思った、というようなことを仰っていたのですが、私の基本的な気持ちも似たようなところにあります。(ギター一本持って被災地を回ることは、もし自分が被災者であると想像したら、とても大きな力になることだと思えます!よく頑張った、さださん)
困っている現場に行ってとにかく手伝いたい。
口先でああだこうだと言っているのも、まあある意味大事といえば大事だが、肝心なのは身体を動かして行動することですよね。
素朴な人間である私は素朴に<困っている人のところにまず行って助けたい>という気持ちがすべての考えの起点です。
身体を動かせないのなら、ここにいてできることを探すべし。
思いを文字に書くことの難しさを、色んな場面で感じていますが、今私はこんなことを思っているのです、ということをお伝えしたく。

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