2010/10/17(日)13:30開演 於:東京芸術劇場 小ホール1
今頃~
今頃感想文です。
なんだか今になって自分の中で整理できた部分もあったので。
とにかくずんこさんとわたるさんが小ホールで!それだけでチケットを買ったわけですが。それ以外前情報一切なし。で、とにかく、開演から程なくして、涙が溢れて溢れて止まらなくなり、これはどうしたことだろうとびっくりしてしまいました。1幕から泣いていました。2幕はもう周囲も泣いていたので遠慮なく。
わたるさん演ずるルーナがあまりに重い過去を知らなくてはならない、というお話。そしてずんこさん演ずるエレンという存在の辛さ。これだけで涙、ということで十分なのですが、私にとっては、ルーナの気持ちが私の気持ちにリンクした部分が大きかったのかもしれない、だから1幕からの涙だったのかもしれない、そう思えます。
「Diana」は家族と、その家族からもらう命の物語です。
大切な、大好きな両親。でもだからこそ許せない、愛するがゆえ、憎しみにも歯止めがきかなくなることもある。
勿論ルーナと全く同じような過去があるわけではありません。でも家族に関するある種の‘闇’が私にはあります。家族ゆえの愛憎とは、自分で処理のしようがない、やり場のない葛藤です。
何故自分は1幕目から涙がぽろぽろこぼれたのか。
それは、私の中に「家族」に関して未解決で、永遠に解決できない問題があるから、ルーナと同じ、いい年齢(子供ではない年齢)になっても、それが解けないがゆえに前に進めない枷が自分にかかっているから、だから、これがルーナが家族との過去ときちんと向き合う話だということがわかった時点で、もうすでに心がぐらっときたのだと思います。
エレンがルーナの前に現れたのは、ルーナが辛いというサインを発していたから ― エレンのそんなセリフがありました。
まさしく。私がこのお芝居を観るご縁はきっと、私のサインが呼んだものであったと、芝居中、心の中でしみじみ唸ってしまいました。
何故私はこの家族から生まれなければならなかったの?何故両親は子供を設けたの?そんな思いは、毎度飲み込んでしまうだけで、今でも放置すればうっかり転び出てきてしまいます。それでもこの世に生んでくれたことへの感謝、喜び、そして家族への愛着がある。そして、今ではもう聞くことができない父の想いや、もう突っ込んで聞くこともしたくない母の想いを、大人になった今、自分なりに解釈・理解しようとする日々でもあります。
この舞台を観終わって、すぐに母に会いたくなりました。同居しているので、帰ればすぐに会えます。毎日一緒に暮らしています。それでも、日々ついおざなりに接してしまう母が急に愛おしくなり、ただ会いたい、顔が見たいと思いました。
どんなことがあっても、子供にとって、親は親なのです。
私は両親に愛をもっている、そのことを確認させてもらえた舞台でした。
観てよかった。
わたるさんはとにかくピュアな人なのだな、と思いました。パンフレットにてご自身で語っていらっしゃる通り、ルーナを演じるのではなく、ルーナそのものになっていました。わたるくん、大好きだよ、って、また思った。
ずんこさんの包むような愛情を持つエレンの存在感に深く感動しました。やっぱり歌が絶品だな~。癒された。そして辛さを越えたところにある境地を教えてくれた。こちらもパンフレットに書かれた「無」の状態からの役への姿勢が窺えました。ずんこさんて舞台に立つと凛としますよね。頼もしい。
男性3人の存在も、癒しであったり、畏怖であったり、様々な反応を与えてくれました。平澤さんのパパがステキでした。娘の誕生日にお洋服を買ってあげる・・・そんなシーン、憧れ。ひねくれ者の私ですが、子供の心に戻って、こんなかわいいワンピースをもらったら嬉しいだろうな、なんて素直に考えて、勝手にまた涙。
今回も謝珠栄さんの世界に触れることができて感謝。篠原久美子さんの脚本と林アキラさんの音楽にも感謝です。