「ドリアン・グレイの肖像」 ― 序文

「ドリアン・グレイの肖像」

著:オスカー・ワイルド 訳:仁木めぐみ
光文社古典新訳文庫

 

 

 

 

 

貴城けいさんのコンサート『I have a dream』の
第1幕第4章「オスカー・ワイルド」を見て、
以前から気になっていた「ドリアン・グレイの肖像」を読み始めました。

本文の前にまず序文として、
ワイルド本人による「芸術とは」あるいは「芸術家とは」といった文章が
掲載されています。
ここを繰り返し読み返してしまって中々本文に進めず。
その一行一行に深く頷いてしまうからです。

芸術至上主義。
それはともすると危うい境地へと流されていくものですが、
「芸術」には「精神の開放」が、やはり必要であろう、
などと、別に自分は芸術家でも評論家でもありませんし、なれませんが、
ひしと思いました。

一番興味を持った一文だけ引用させて頂きます。

批評家たちの意見が一致しない場合、その芸術家は自分自身と調和している

自分固有の世界=ユニーク
すいません。とっとと本文を読みます・・・

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