昔の下町の子供

斉木さんのブログ記事に触発されて思い出した昔の話など。
以前勤めていた会社に亀有に住んでいるおじさん(部長をおじさんよばわり・・・)がいて、そのおじさんが自分の土地にはとても愛着があると話してくれた。お祭りには気合が入る、所謂下町っ子というやつだ。で、私に「あなたもそうでしょ?」、つまり私も地域的には下町なので、下町っ子として生まれ育った土地に愛着があるでしょう?ということだ。答えは、微妙。私の土地は下町風情などかけらもない、ただの東京の隅っこ、と言ったら同郷の人々に怒られるか。葛飾区に近い江戸川区のとある一角。40年くらい前は、立派なお家もあるにはあるが、全体的に貧乏感漂う町であった。我が家も元々長屋だったし(東京大空襲後に流れてきた)。大昔は人も住まない沼地だったかもしれないし。
近くでいかにも下町風情のある場所といえば浅草あたり。多分その辺から多少なりとも下町情緒のお裾分けはあったかなと、今思えば思える。
思いついたのはきびだんご屋さん。自転車の荷台に箱を載せて、近所の商店街のあたりで商いをしていた。母が時々買ってくれるきびだんごが大好きだった。今思えば駄菓子に近い。岡山の吉備団子ではなく、江戸のおだんごのようだ。
こちらの写真のもの。昭和においてはもっと安かったはず。
http://www.asakusa-nakamise.jp/shop-1/azuma/
母との買い物で、この買い食いをさせてもらえるのが、なによりの楽しみだったことも思い出す。
昼間から焼鳥屋(戦後かよ、みたいな店があった)のカウンターで飲んだくれているオヤジたちのいる町だったから、その焼き鳥の匂いに誘われて、いつも買ってもらっていたのはモツ串1本。渋い。あるいはおでんの屋台でタコ足1本。渋い。
今の小学生がいくらお小遣いをもらっているか知らんが、当時100円も貰えれば大金で、50円でも大金だった。つまりこの2種類は滅多に手渡されない。なので自分で買うなら主に駄菓子屋。5円で何かが買えた。近くの公園には紙芝居が来ていたので、紙芝居を見ながらやはり駄菓子を買い食い。せんべいと呼んでいた薄いおせんべいね。プレーンが基本だが、トッピングでソースとか梅ジャム。でもそれはちょっと贅沢だった。更に贅沢品が50円もする寒天。5㎠くらいで平べったくて甘いだけの寒天が50円!ピンク色の着色が子供心に魅惑的で、時々思い切って買い、楊枝で5m㎡くらいずつに切り分けて倹しく食べた。
懐かしいわ~
今の子たちは物は豊富だけれど、自由がないですよね。
昔だって危ないことはあったろうけれど、学校から帰ったら家飛び出して、子供だけで暮れるまで遊びほうける毎日でしたから。公園で一人でぼんやりしていることもしょっちゅうあったし。公園の植え込みに粘土質な場所を見つけて、掘り起こしては泥団子作りに夢中になったり、なんて、今やったら怒られるでしょ。あっちこっちの舗装道路いっぱいにロウ石(ロー石?)で落書きしまくっても、同じところで繰り返しても、怒られなかったな。今道端で時々子供の落書きを見つけるとすんごく嬉しくなっちゃう。路地なら今でもありですかね。私はまあまあな車道にがんがん描いていましたがね。
長くなっちゃった。
またなんか思い出してみようっと。

コメント

  1. やまはた より:

    お元気ですか?
    東京駅、いよいよ進化しているようですよ!
    ところで、私のブログ見てくださいな♪
    ちょっとうれしいことがありました。

  2. より:

    ●やまはたさん
    コメントありがとう~
    東京駅、あれからどんな進化が?
    また一緒に探検しましょう ^ ^
    ブログ見ましたよん♪
    すげーじゃーんヽ(^-^)ノ
    いいなー文才があって♪

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