野田地図番外公演「表に出ろいっ!」

2010/9/26(日)14:00開演 於:東京芸術劇場小ホール1
http://www.nodamap.com/productions/omote/
野田さんと勘三郎さん+娘役さん(黒木華さんの回)のお芝居、観てきました~
これチケット取れないんじゃないかと思っていましたが、無事前売りが買えましてv
感想です。
ネタバレあり&長いので畳みます。


舞台の設えはどんなかな?というのがまず気になっていたのですが、多分どの席からも見やすいと思われるこんな設置。
http://www.nodamap.com/productions/omote/seat.html
事前に何も情報を入れていかなかったので、実際劇場内に入って、へ~って。
そして舞台はある家庭のリビングルーム。玄関と二階へ上る階段と奥の間(多分台所)に通じる暖簾のかかった出入り口と。それらすべてがオレンジ・グリーン・イエローといったカラフルなストライプで彩られて、色彩は違えど定式幕に似ているなと思いました。
暗転→明転して姿を表した能楽師のお父ちゃま・勘三郎さんも舞台同様カラフルポップなお着物(あの髪型は太宰っぽくもあったな。モデルいるのかな)。続いて現れたお母ちゃま・野田さんはプードルみたいな頭。娘さんは普通に現代のお嬢さんの格好で。
3人家族の皆がどうしてもその日の夜に出かけたいのだが、飼い犬のピナ・バウシュ(何故この名?)が出産しそうだということで誰かが留守番しないといけない状況。皆が絶対出掛けたい。誰も譲らない。それゆえ自分の外出がいかに重大事で他の家族の用事はいかに大したことが無いかという三つ巴の口ゲンカになり、どんどんエスカレートしていく。父は某ネズミの夢の国に、母は小さな男の子たちに(♪世界に3つか4つの花♪聴きたいwww)、娘はレアもののキャラクターグッズフルコンプに、それぞれ入れあげている。父はネズミをぬいぐるみではなく生きていると言いはり、母は小さな男の子たちは自分にとっては信仰であると言いきる。いずれも娘のグッズコレクションと同じレベルの趣味。
出かけたい理由がそれぞれあまりにバカバカしくて、相手への攻撃や上げ足取りにも、最初はただアハハ、バカだね~って笑っているような他愛のない進行でしたが。
途中から娘があの「書道教室」に通っているということが発覚し、ここで劇空間に「あ~繋がっている」という笑いと「あ!てことは」という緊張が同時に起こります。
「ザ・キャラクター」を観た人はここでピンときて、「うわ」と思うわけです。
夢の国や男の子たちへの信心と家元への信心に違いはあるのか、と詰め寄る娘。明確に答えられない親。ここから話は更に混沌としていく。
あらすじバレはこのくらいにして。
枯渇している時。
ここに行けば泉があると教えてくれるのが神なのか。それとも実際に水を与えてくれる者が神なのか。
否、神は水そのもの。つまりは水と私の間にある者はすべて幻。救ってくれるものは具象であって抽象ではない。
水が恵みなのであり、それを差し出してくれる人が神様なのではない。
最後の、勘三郎さんのセリフひと言により、自分流ではありますが、そんなストレートな感覚が、すとーんと自分の腑に落ちてきました。
また劇中、救ってくれるのならば救ってくれたその人を信じる、といった野田さんのセリフも、人の本願、本意、本性かなとも感じました。
趣味・嗜好における「信じる」と、宗教における「信じる」が、同列に並ぶかどうかは、その信じる人の心の成熟度によって決まるのではないかと思います。
例えば「ファン」という存在はどっぷり行き過ぎると「信者」と呼ばれたりします。私の好きな宝塚なんかはそう言われる典型かもしれませんので、ヅカでいうならば。対象を「虚像」と認識して楽しめているか。そしてその虚像は「生身の人間」であり、普通に生活のある「他人である」という認識を同時に持てているか。当たり前のことを書きましたが、これができていない人がいたとしたら、結構、怖い。
野田さんが再三言う「幼さ」を自分にも感じています。考えると実に危ういです。「幼さ」は「依存」にも繋がると思う。依存は何も生み出すことなく、ただ思考を止め麻痺させる。私は宗教に関しては冷めた見方をしますが、それ以外の「信仰」についてはどうだろう。(ちなみに「ファン」という立場においては「アーティストとファンの間に一線あって当たり前、一線あってこそ」と思っています)
パンフレットの中で太田緑ロランスさんは娘のカナエについてこんな考察をしています。‘信じたものを疑うきっかけはあったはず、でも疑うとほころびが見えてしまうから、疑うことを避けて突き進んでしまったのでは’(引用は本文のママではありません)
このくだりに、なるほど、と思いました。カナエちゃんは寂しがり屋なのではないかと。「寂しさ」が彼女の行動の核ではなかったのかと。うんうん。この「寂しい」っていうのも考察する上でのひとつの大きなキーワードだよね。
「信じる」って、なんだろう。自分、どうしたいんだろう。何を求めてるんだろう。
いやいや色んなことを考えさせられる、今回もそんな観劇となりました。
勘三郎さんと野田さんのテンションが凄い!ドタバタの迫力が半端じゃない!
50代が本気でバカバカしいことをやる凄味。
身体能力も鍛えられ方のレベルが違いすぎるっ。(二人一緒の階段落ちには正気か!?と思わされたw)
黒木さんも負けていませんでした。太田さんも拝見したかったな。
狭い空間での贅沢な共演を贅沢に堪能しました。
野田さんの女役が好きなのでそこでも満足。
なんか、観て、すかーっとした、そんな芝居でもありました。
追記:
伝統芸能の人は身体がカタい、柔らかいのはコンテンポラリーとかいう・・・、というセリフがあったので、
コンテンポラリーからのピナ・バウシュ?
違うと思うけど・・・

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