「サド侯爵夫人」

2008/10/26(日)14:00開演 於:東京グローブ座

アトリエ・ダンカンHP
http://www.duncan.co.jp/web/stage/sade/

篠井英介さんと加納幸和さんが同じ舞台に立つ。
これを聞いて観に行かないわけにはいきません!
18年ぶりの共演だそうです。
更に戯曲が三島と来れば、これは面白くないわけがない。
で、面白かった!です。
感想など。

2回休憩を取ってもらっての3部構成。

1部で「へ~」、2部で「お~」。2部後の休憩時には、これは一体どんな結末になるのであろうと。で、3部で「は~」。様々な感情・感想が入り乱れての‘は~’であります。

各回45~50分という短さにしてくれたお陰で集中して観ることができました。1部と2部はあっという間だった。

3部目は、結論に導かれるまでの語りが幾重にも折り重ねられ、それが確固たる結論であるというところにまで聴くものを説き伏せるような、客さえもサド侯爵の作られた世界に刻々と巻き込まれるような時の進み方で、実際の時間以上に厚みのある時が流れたような気分にまで持っていかれました。
脳裏に、映像で、‘天国への裏階段’が一段ずつ現れるかのように。

休憩中他の座席の女性も同じことを仰っていらして、私も心で頷いていたのは、今回キャストが全員男性で良かったということ。もし登場人物であるすべての女性をそのまま女性が演じていたら、実に生々しく、途中で嫌悪感が顕わになってしまったかもしれない。男性が客観的に演じてくれたお陰で、こちらも冷静に、‘背徳と貞淑’について語られるこの戯曲を、傍観できたのかもしれない。

パンフレットの加納さんのコメントで、あ~と思ったこと。
<(この戯曲には)難しい単語はほとんどなく平易な言葉で書かれているし古語もない>
だからこそ入ってくる物語。
しかし選び抜かれた言葉。洗練し尽くされたセリフ。美しく磨かれたシンプルな旋律が耳から脳に入っていく感覚。
それが三島戯曲の魅力なのか。

三島の作品をちゃんと読んだことがないのです。彼が選ぶ単語を意識して、この戯曲も含めて読み耽ってみたいものだなあなどとも思いました。

篠井さんと加納さんを同時に拝見すると、その女方としての様式美の違いが見える。篠井さんはまさしく現代演劇に対応する女方。加納さんはやはり歌舞伎の様式を極める人の女方。そのように見える。
お二人とも客観的に女性を観察し、演じられているであろうが、篠井さんはその女性の中に入り込み、その女性に同化できる人、加納さんはその女性を演じながらも冷えた目で俯瞰することを楽しむことができる人、そのような印象を持った。

篠井さんの立ち姿の美しさは去年(あれからもう1年!)拝見したブランチと同様、感動ものである。その気品のある身のこなしは、他の出演者より突出しており、<現代演劇の世界に女方として存在する>という強い意識の元に、日々舞台に立たれていることを確かに理解させられるものである。
鈴木勝秀さんがお好きだという<フィクショナルなリアリティ>。私も大好きなのだが、それを実現させるのは、篠井さんや今回ご出演なさった役者さんたちの存在が大切なのだろうと思う。

すべての役者さんが魅力的でした。
特にびっくりしたのは石井正則さん。役者としてこっそり評価はしていた人ではあるが、セリフの流暢さに改めてすごい人だなあと感心。
天宮さんのサン・フォン伯爵夫人も充分な毒を秘めていて、山本さんのシャルロットの存在感も物語の要にきちんと居るし、小林さんのアンヌも姉妹の‘陽’の役割を彩っていた。
(アンヌの最後の衣装が、とてもステキだった~)

これまたパンフレットからですが、鈴勝さんと橋本治さんが仰っていた‘長いセリフの魅力’についての下りも後からじわっと来たなあ。
最近の芝居のセリフは短くなる傾向にあると。しかし役者が長いセリフを言い抜く快感は、役者にも聴く者にも同時に流れ、沸き起こる。これは昔の野田さんの芝居で感じていたことだなあ。台本何ページにも渡るセリフを気持ちを高揚させながら語り上げて行く快感。これを感じることが、役者!っていうイメージが昔あったこと。それを思い出させてくれました。長セリフを観客に飽きることなく聞かせ続ける、それこそが役者さんの技量なのでしょうね。

ストレートプレイでこんなに熱く語れるなんて最近では珍しい。
演劇についての新たな興味の方向がまた増えた。
来年は「サロメ」で!

サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)
三島 由紀夫
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