2009/8/17(月)14:00開演 於:座・高円寺1
虚構の劇団HP
http://kyokou.thirdstage.com/
鴻上さんのお芝居は観たいけれど、正直全く知らない役者さんたちの舞台はどうだろう・・・
そんな気持ちで気にはなりながらも行かずにチラシをただ眺めていた「虚構の劇団」。
今回演目が「ハッシャ・バイ」ということで、ふと行く気になった。
「ハッシャ・バイ」は観たことがない。第三舞台当時の戯曲は持っている。一度は読んでいるはずである。しかし全く内容を憶えていない。
全く知らない役者さんたちの舞台を初見するということもあって、構えず、そしてピュアな状態で「ハッシャ・バイ」観劇ということとなった。
流石に昔の台本なので手直しは入っているらしいが根本は変わりないらしい。
(鴻上さんのごあいさつ文より)
まず開演して気づいたことがある。
自分はスタートから役者のセリフを一字一句、聞き逃すまいと集中している。
第三舞台を観ていた当時、こんなにセリフを聞こうと集中していた覚えがない。
昔は正直、色(個性)の濃い役者さんたちを楽しむことが優先だった。しかし今回は全く知らない役者さんたちでの上演である。だからなのだろうか。今はまずセリフを、物語られることを、集中して聞こうとしている自分がいる。
集中してセリフを聞き、物語を眺め、また気づいたこと。鴻上さんの台本の素晴らしさ。理屈・理論が苦手な私にどこがどう素晴らしいのかということを説明することは難しいが。感覚人間の表現で許して頂けるのならば、しっかりとした金属がすっきりと繋ぎ合わされた美しい形のジャングルジムを見ているような作品。最後に辿り着く先が明確で、そこへ届くまでに語っておきたいことも全て無駄なく配置され、確実な段階を踏む足場を役者たちがするすると登り、ジャングルジムの上を目指す。この芝居を何回か繰り返し観れば‘芝居を構築すること’の勉強になりそうだな・・・などと感じてみたわけです。
そして終演間近にまた気がついた。
すべての役者さんが素晴らしい。この劇団の芝居なら、また次も観たいと、終演後には思えていたのでした。
肝心の物語に関して。
最近私が抱えているある種の悩み、というか暗い部分が、そのまま舞台に乗ったかと思うような作品で。
物語が進行する中、心中は驚きに満ちていて。
(それはどういうことなのかは、もう一度とりあえず手持ちの戯曲を読み返し、整理して考えてからの感想とした方が良いと思え)
第三舞台を観ていた時に思っていたこと。
‘何故鴻上さんは私が抱えているものと同じものを舞台で見せてくれるのだろう’
私が悩み、探し、精神で放浪している時、それは既に鴻上さんの台本の中にあり、上演されているのである。
今回、何十年か振り(十何年か振り?)に観て、また同じように‘あ!’と思わせられるとは思ってもいなかった。
のほほんと日常に転がるような明るいものではない。
‘闇’を抱えたものである。
誰しもに実は共通する闇なのだろうか。
終演後、観客一人一人に問いたいと思った。
「あなたは、あなたのお父さんに、お母さんに、何か思っていることがありますか?」あるいは息子さん、娘さんに。あるいは男性には女性に、女性には男性に、何か思っていることはありませんか?
この公演がふと目に留まり、すぐにネット(座・高円寺HP)でチケットを買ったのは、観るべきであるという何かの働きかけであろう。
座・高円寺はステキな劇場だった。
そのシンプルな舞台に映し出される映像が凄い。音の効果も巧み。
観て損はない、というより、観ておいた方が良い舞台であると思う。
これから観劇される方は是非開演前に鴻上さんのごあいさつを読んで下さい。
私も昔のように読み、なるほどと思い、そこからすっと舞台の世界へ入ることができましたから。
長文お読み頂き、ありがとうございます!