2011/1/21(金)19:00開演 於:東京芸術劇場 小ホール1
プレビュー公演
今年の舞台初めも良いものを観ることができました。
読んだことも観たこともないチェーホフですが、そこに「?!」がついていたこと、篠井さんと毬谷さんという豪華な顔合わせであること、そして芸劇上演であること、更に料金が「いいの?」っていうくらい安かったことで、観劇を決めました。
以下ネタばれ含みます。
劇場内に入るとまず舞台に配置された額縁が印象的に視覚に入りました。紙芝居の枠のような額縁。
そして狭いながらもオケピがある!生演奏って、贅沢。小劇場という空間でも既に贅沢なのに。
全体感想としては。チェーホフを知らなくても実に興味深い空間を堪能できました。知っている人にはその解釈を楽しめたのかもしれませんので、できれば読んでからもう1回観たいですが、時間的に無理・・・
チェーホフの脳内ってこんな感じなの??
セリフがほとんど無しなのでむしろ右脳でダイレクトに感じることができる感覚的な世界。清々しいくらい説明が無い。それが快感。余計なもの無しで、その創作世界に没頭できる劇空間でありました。
オープニング、白い服を着た子供が森を訪れ、そこに現れた魔女に手招きをされます。
すると舞台の額縁と同じ枠が少し小さめになって現れ、その枠を少年がくぐる。そうするとその奥にまた少し小さい枠が現れ、またそれをくぐる。するとまた更に小さめな枠が奥に現れ・・・次々現れる枠。その内抵抗し始める少年。しかしじりじりと狭まっていく枠にずるずると引きずりこまれ、どんどん舞台の奥へ奥へと、物語の深みへと取り込まれていく。想像の世界へ引きずり込まれる力の凄さを、この過程を設けることで強く感じ取ることが出来ました。
森のシーンが本当に美しい!恐ろしさを秘めた童話の世界。影絵。黒い森。大きな月。そこに現れる得体の知れないモノたち。
毬谷さんの歌とダンスに感激。さすがだなあ。
子役は多分演技力が要求される場面がマメ山田さんだったのでは?
幻想的で美しいシーンからやがて怪しげなシーンへと。
医師でもあったというチェーホフ。医学のもつグロテスクさ。想像力のメーターが赤いゾーンに入る心持ち。
様々なキャラを受け持った手塚とおるさん。もしかしたら狂気、と思わせる疑心の象徴のようであった蘭妖子さん。
電灯に寄ってくる虫が焼けるシーンにはちょっとぞくっとしました。最初は嫌な顔をしていた人々がやがて快楽の表情に変わっていく、それが何を意味しているのかわかりませんが、ただそれだけで人間の核に潜む恐ろしさを見てしまったような気持ちになりました。
最後の冷蔵庫から凍ったカップルが現れるシーン。凍りついた人が動く、この動き、毬谷さん素晴らしすぎる!なんという身体能力なのであろうか。最後の最後、幕が下りる間際の手塚さんのあの形・・・え??後ろにゆっくりと倒れてゆくのだが・・・幕が下りてから、い、イリュージョンだ、って。いかにも凄いでしょ、って感じではなく、さりげなく取り込まれるイリュージョンはステキですね。本当に魔法の世界を見てしまった感覚が得られる。素晴らしかったなあ。
公式サイトのインタビューで手塚さんが、タネのわからなかった人は前方の席で見るとわかるかもしれませんよ、って仰っていて、いや見てみたいけれどもさ~って。
創作とは現実離れしているものであるが、案外現実から離れられない不自由さがどの作品にもままあるのかもしれない。しかしこの作品は完全に現実世界から離れた世界を具現化しているように思える。創作とは、想像力とは、そんなことについても改めて考えてしまった作品でありました。
想像の具現化は、その想像のビジュアルが明確に頭の中で出来上がっている人にこそできる、特別な才能ではないだろうか。タニノクロウさんて、凄いな。
毬谷さんのインタビューで、タニノさんの作品は劇場が美術館のようになっていて、役者は演技者というよりも美術館の美術品のようになっている、と。うんうん。で、更にそのインタビューの中で、役者は人間力、生き様であると思います、と毬谷さんが。まさしく。人間力を強く持った役者が揃ったからこそ、彼らがそこに立つだけで物語が発動する力を得た作品であったのだと思います。ただ美しい器が用意されただけの世界に留まることなく、そこは説明不要でも逞しい想像力を持つことができる劇空間として成立したのだ、そう思います。
頭、リフレッシュ?リセット?できたな。今年も色んなもの観ようっと。
そんな気分になれて幸せでした。
コメント
こちらにもお邪魔しますですm(_ _)m
つい最近私は、小劇場で「六号室」というチェーホフのお芝居を観ました。
精神病院の院長先生が、自らその病院に入る事になった過程を描いたもの。
こちらは逆に、2時間たっぷりセリフで聴かせるお芝居でした。
原作に近いのかな?
価値というものは絶対的なものではなく、
人によっても、立場によっても、昨日と今日とでも、
価値観にこんなにも差があるのならば、
偶然この世に生まれ落ち、必ず死を迎えるという人生の、
その二つの間にある“生”をどうやってまっとうすればいいの~?
生きるって何なの~?
という疑問を突きつけられ、心をちょっと揺さぶられたお芝居でした。
実は私も読んだことも観たこともなかった、初チェーホフ;
チェーホフってこんな事ばっかり考えてたの?
これは受け止める方にもパワーが要るわ、
と思っちゃたんですが…(笑)
図らずもお互いに初めて観たチェーホフが
こんなにも表現の違う内容とは…(笑)
面白いなぁと思ってコメントさせていただきました(((((^。^;)ゞ
失礼しました。
●ハラグロ2号さん
この「チェーホフ?!」はチェーホフの戯曲やらは
直接には出てこない演目なのです。
イメージの世界ですね。
要所要所に篠井さんのセリフで、
人生とは何ですか?みたいな問いかけが繰り返し出てきたので、
それがチェーホフの実際の作品では
色々な形で問われているのかしらと想像しました。
がつんとセリフで問われるチェーホフもいずれ観てみたいです。
そうでしたか。
人生とは何か?の問いかけ、
その問い自体が抽象的であるがゆえに
それに対する答えは、具象で表現するよりも
抽象的な表現の方が受け止めやすい、ということも
あるのだと思います。
観客の共通認識というものを重視するよりも
個々の感性や感情に視覚的にダイレクトに訴えかける演出、
セリフで聴かせるお芝居よりも
受け止める側にパワーが要りそうですねぇ。
私もいずれはそういうお芝居にも挑戦したいです(^。^)/