虚構の劇団「アンダー・ザ・ロウズ」

2011/4/10(日)14:00開演 於:座・高円寺
劇団HP http://kyokou.thirdstage.com/
今日の余震は大丈夫かな?そう思いつつ、楽しみにしていた虚構の劇団の新作を観てきました。
サードステージのツイートにて、その日高円寺駅前にて反原発のデモがあるので、駅前が混雑するかもしれないので早めに劇場にお越し下さい、といった気配り情報が。駅に着いてみるとまだデモは駅前(北口)を埋めてはおらず、スムーズに劇場に到着することができました。
席に着いて、まずは鴻上さんのごあいさつを読む。これを読んでから観た方がより理解できるのでなるべく読む。そして芝居前から自分にも思い当たることにて、己の心をばっさりと切り捨てられる。そしてちょっと笑いそうになる。なんて気持ちいいんだろう。ばっさりとやられて、清々しい。何故清々しいか。それは自分としても、もやっと考えていたことで、それを鴻上さん流の無駄無くばしっと的を射る表現でさっぱりと明言してもらえたから。
なるほど、と、思って、開演前を迎える。
開演前のアナウンスは鴻上さんご自身。
劇場内における地震対策について具体的な対処が説明される(地震発生時は動かずに誘導指示に従って下さい等)。それから地震の揺れとそうでない揺れの違いの説明が(椅子が稼動式なので揺れやすい、隣の人が笑っても揺れる、照明が揺れていたら地震、照明がぎゅいんって動いたらムービングw、等)。
このアナウンスがとっても心を安定させてくれました。
鴻上さんありがとう ^ ^
感想はネタばれ含みますので畳みます。


過去に受けたイジメに苦しみ、立ち直れず、‘生き直し’を図ろうとする人々。それは今私たちが居る空間ではなく、別の空間・パラレルワールドで生きる人々の戦い。自分に似た人間が暮らす、ほぼ同じ世界だけれど、分岐点の選択を違えたことでその先の人生が変わり、世界同士のズレが生じている。こっちの世界の自分は平和だけれど、向こうの世界の自分は・・・
お話は現実(私たちが実際にいるのと同じような空間)から始まり、ひょんなことから主人公がパラレルワールドに入り込み、また自分の次元に戻ってくることで終わります。
この構成がいいなと思いました。パラレルワールドの緊迫感・混沌・痛み・苦しみ、それら全て、意識下の世界のようにも思えたからです。
今の、どうってことなく生きている私、その意識の下には、過去に置いてきた耐え難い苦しみがある。夢でよく、置いてきたはずの物事に出会い、目が覚めて、激しく溜息をつくことがあります。そして、忘れてなかったんだな、処理しきれてなかったんだな、そう思います。
「アンダー・ザ・ロウズ」の主人公は、意識の上に帰ってきてから、置いてきたものと出会おうとします。現実の世界で、向き合わねばならないことに向き合おうと、具体的に動くのです。ここに観終わった後の、一筋の光があります。
パラレルワールド内のセリフで一番、あっと思ったのは、鴻上さんのごあいさつにあったことと同じでした。セリフにして、また、ああって。
小野川さん演ずるアイドルで女性作家の柏木のセリフ。文学賞を受賞した彼女を嫉妬する小沢さん演ずる鶴川(つるっとかわいい鶴川ですw)へのセリフ。‘賞に応募してくるテーマの半分はイジメで、あとは大体家族の問題についてが多いそうだ’、つまりはいじめられて辛い思いを昇華して作品にしようと思っている人間はごまんといるのだ、ということ。同じように家族の問題を抱えて訴えたい人もごまんといるのだということ。これは私も薄々思っていたことなので、軽く打撃を受けた感じです。別に文学賞に、とか考えているわけではなく、自分にとっても、過去の記憶にて、イジメを受けたことと、家族の歴史における暗い部分は、重要なテーマです。これらのことを何かしらで表現したい、そう思っていたりします。しかし、自分が持つものだけが特別大きなものではないのだ、ということ、そして何かしらの形で昇華したい人の数は想像するより遥かに多いであろうということ、それを想像してみたら・・・なんというか、自分の拳から力が抜けるような感覚になりました。観念ではわかっていたはずの、自分だけじゃないんだという感覚が、具体的な例ではっきりとしたものになったということでしょうか。(この文学賞の例は本当っぽいですものね。そうじゃないかな、と納得できる例えです)
イジメられた人間の存在が自分の中で軽くなってしまった、というわけでは勿論ありません。まずイジメがどこにでも、どの時代にでも多数発生すること、しうること、そしてどうにかそこから逃れる為にもがいている人が多数いること、その想像に飲み込まれることで、呆然とした心持になってしまったのです。
たくさんの、キツイ思いが昇華されないままでいる・・・
そしてこの芝居は、個人的なイジメの恐怖から、もっと大きなうねりから受けるイジメの恐怖へと雲行きを変えていきます。
朝日新聞に「アンダー・ザ・ロウズ」のインタビュー記事がありました。そこで鴻上さんは「いじめは個人的な問題ではなく、‘普通’への同調圧力が強いこの国の構造的な問題」と語っています。(記事一部抜粋させて頂きました)
個人的なイジメも、その発生は‘こいつどこか自分たちと違う’から始まるものが多いのでは、と思います。
パラレルワールドで過去に苦しむ人々が‘生き直し’をかけて団結し、その戦う姿は当初同じ悩みを持つ大衆(ネットの住人)から指示を受けますが、やがてそれをNGと判断した‘世間の風’という大きな力の攻撃対象となってしまいます。世間の風。こいつら、違う、こいつら、許せない、そんな風評。パラレルワールドではより激しく、暴力が描かれます。被害なんてもんじゃない、もしかしたら、殺されてしまうのです。
個人が経験するイジメの体験から、マスの中で受ける攻撃の対象へ。2段構えで恐怖の中に落とされる・・・この物語の流れが見せる恐ろしさと不気味さに、また私の気持ちは呆然としてしまいました。
実にストレートパンチの多い芝居であるな、客観的な私はそう感じました。このストレートさがいいな、ごあいさつを読んだ後の感想と同じ思いが湧き起こりました。演劇は役者だけでなく観る側にとっても擬似体験だもの。痣作って帰ってくるって、これまたある意味良いお土産なんですもの。(別にMじゃないよ。どっちかってぇとS!)
実は鴻上さんの脚本て、理解しづらい表現が結構多いのですが(私の頭ではという意味す・・・)、今回はわかりやすい芝居だった。それはもしかしたら、鴻上さんの中での‘焦り’や‘危機感’の表れではないか、そう感じました。
伝えなければ、直球で、大声で!そう受け止めましたです。
1回の観劇だけですので、勘違いや手前勝手な感想になっていると思いますが、ご了承下さい。私がすぱっと受け止めてきたことを文字に並べてみました。毎度毎度、うまく文字にできないんだよなあ。でもなるべくフレッシュな感覚の時に書いた方がいいから、書いてみました。
役者さん、どうしても気になる人に目が行くっ。
小野川さん、超かわいいっすよね。今回席が4列目センターだったので、よっく見えたもんだから、よっく見ると色白でふわっふわなの、この方。舞台に立つと役人格降臨するタイプではないかしら。
奈津季様。あれはなんでしょう。月に代わってお仕置きをする人ですか?ピンクの。あれを見ただけでも今回お宝でしたwやっぱかっこいいな~この方は。
小沢さん~どうしても小沢さんに目が行ってしまい。みんなを見なきゃって思うのですが、どうしても。ファンになっちゃったからね。鶴川の演技はその入り込み具合がとても良かったです。水面下で復讐に囚われる狂気、演技のしがいがある役なのでは。
とにかくキャスト全員が愛しいです。劇団のファンですから。
次回公演もむっちゃ楽しみにしています!
というかもう1回これ観たいな・・・
公演後、外に出たら反原発デモが北口に流れていました。家に帰ってツイートを見ると、このデモについてのRTがたくさん溢れていました。世間の風には何種類もの風がある。自分でちゃんと見極めて、乗ろうと思ったらそこに乗ってみるのもいいのではないか・・・
そうも思ったり。
震災後の今、間違った風評に対してやられるまいとする構えを持つ人が増えているように思える・・・
そう良く思いたいけれど。
まずは自分だな。人の意見を聞くと同時に自分をしっかり立たせなくては。
そんな風に、色んな思いを持ち帰り、帰途に着く観劇となりました。

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