公演記録:2015/6/19(金)~6/29(月) 於:東京グローブ座
超個人的な感想を。飛躍した感想(妄想)をば。
感想をひとことで言うと。
新しいことに挑戦しているな!
に尽きる。
ファイナル(part.1?)、三人だけ、劇作家・前田司郎さん、、、
全く想像つかなかった「燃えるゴミ」。
いやこんなシティボーイズ観たことないや~って、新鮮なものを観たって、思った。
前田さんの作品を拝見したことはないのですが、多分コントは書かれていない劇作家さん。「静かな演劇」世代?なんとなく、狭い世界、ワンシチュエーションの設定で、あまり動きのない芝居になるのではないか、そう想像していたのですが。
想像通りの静かな芝居といつもの日常逸脱コントとの交差。
伏線が張ってあってそれを回収していく見応えのある作品。
静と動のコントラストがきいていていいな!と思いました。
もしかしたら腹を抱えて笑う場面て少ないのでは?とまで想像していたので、それが裏切られて個人的には超満足!
いつものシティボーイズじゃないものといつものシティボーイズであるものと、両方を見られてとても贅沢な気分になれました。
ゴミの山。
以前TVの企画で、あるゴミ屋敷を片付けさせて下さいと言って片付けさせてもらい、ゴミが上から無くなっていくにつれ、その下に埋もれていたものが現れ、家主の老人がかつての穏やかだった暮らしを思い出し、気持ちがほぐれた、という、まるでカウンセリングのような工程を見た時のことを、この芝居で思い出しました。
長らく友達だったのに、何かがきっかけで絶交したらしいオオタとキダ。
「おまえが、なんかやったんだよ」
記憶の上澄みはぽかんとした世界で、過去何かがあったらしいが二人ともよく覚えていないらしい。その「おまえがやったなにか」を徐々に思い出していくお話。
サイタ(サイダ?)という新しい仲間の存在が二人に作用して、色んなもので覆われてしまった記憶の底の方が徐々に見えてきてやがて思い出されていくお話。
ただの自慢の道具だった泥団子にはかつてキダがオオタからくすねた甲子園の土が混ざっていて、固めて磨き上げられた一見美しい球体なのだけれども、実はそこには二人の確執の元が籠められている。
ゴミが積みあがっていく、土が固められていく、それは記憶の上にこれまでいくつものフタがされてきていたことを表しているのではないか、その下にあるもの、内側に閉じ込められたもの、長らく見えなかったもの、意識的に目を向けてこなかったこと、それを掘り起し、決着をつける、その過程がこの物語であったのかもしれない、なんて風に思えたのです。
取るに足らない話の流れから持ち出された泥団子。
だがしかし、割られる時が今なのだ。
鬱屈した感情を放出し、互いの確執に決着をつける。
「おまえなんか、こうしてやる!」
まさかのハグ。ずっとオオタがやりたくてできなかったこと。信じて裏切られても、それでもおまえをずっと友達だと思ってきたんだぞコノ野郎!わかりやがれコノ野郎!的な。言葉や暴力には応えなかったキダの琴線へ触れるための最終手段のハグ。
多分、定年を過ぎて暇をもてあました男たちという設定。
定年を過ぎ、妻もいなくなり、これからどうしようという不安も抱えた男たちのぼんやりとした焦りも暗に見える。
寿命のようなものも薄ら見えてくる年頃でもあろうから、今ここで思いを遂げなければ、後悔が残るかもしれない、今しかないのかもしれない、そんな「タイミング」が、この話の「時間」設定なのではないかと思えました。
何度か観劇し、観終わって、自分的にこの話の主人公はオオタだな、というところに着地。オオタの心が解かれていくお話だったのかなあと。というかどうしてもオオタに感情移入してしまいました。
積み重なったゴミは、ゴミだけれども無意味ではない。
積み重なった二人の、そして遅れて更に三人の時間は、くだらないかもしれないけれど、無意味ではない。
それは降り積もった「忘れたくても忘れられない記憶」の山である。
やがて処分され燃やされてしまうかもしれないが、共に過ごしてきた「かけがえのない時間」の山である。
それぞれの心に意味を隠しながら、無意味だと過ごしていく姿に男の哀愁なども感じる。
と、なんだか妙に「ゴミ」そのものにも感情移入せずにはいられない気持ちが残った芝居でありました。
最後にオオタの息子・タカシがその沁み沁み仄々とした世界を突き放して終わるのがかっこいい。
頼まれてもいないのにその辺のゴミを集めてきてこの錬金術師が何をするのかは想像もつかないが。
(いやそこのところは深読みできそうなので、引き続き深読んでいきたいです)
個人的に、私はシティボーイズの三人が気負いなく芝居をする舞台が観たいと願ってきました。昔、狭い小屋で観ていたシティボーイズライブがそうだったような気もするけれど、コントというより演劇に近いもの、笑いだけで空間を埋めるようなものではないものも観てみたいと思っていて。今回その夢も叶いました。前田さん、ありがとう!
その他雑感。
●倒置法のセリフは最近の芝居では普通のような気がする。いかに不自然でなく日常会話のようなセリフが作れるか、というの現代かな。シティボーイズさんのやってきた演劇のセリフ作りとは違うのかもしれない。だから覚えにくく言いにくのかも?
現代の若者言葉はセリフとして言いにくかったのではないかとも思います。
例えば、「俺ら」→「俺たち」、「ねぇよ」→「ないよ」の方が言いやすい?更に客にも聴こえやすい?
三人の年代の人がこの口調で話すかな?でも前田さんは三人の会話をひたすらじっと聴いて脚本を書いたわけだから、実際そうなのかも。にしても、日常会話に近いセリフを舞台で再現するのは難しそうだなと思いました。
でもでも若者言葉でまるで青年のように話す三人を見るのはとても楽しかった!ナイス!
●いつのアフタートークだったか、斉木さんは相手役に向かって言うべきセリフを客に向かって言う、相手役ではなく客の方を向いて言う、芝居が古い、みたいなことを言われて。
そういう古い?演技が堂々とできる面白侍やモナリザでは三人がしっかりセリフも言えていたように思えます(笑)
身について言いやすいセリフってあるのかも、って、腹抱えて笑いながら思った。
セリフらしいセリフはよどみなく言えるものなんだな、などと。蜷川、シェイクスピア的なセリフなどなど。
●初日は三人とも舞台上で目が泳いでいて、セリフをきっちり言うことに専念しているように見えたけれど、後半を観たらこの世界にもう慣れたという感じで目は泳いでいなかった。
●黒忍者、上手から下手まで走ってきて、トリプルアクセルっ!とか言って空中回転するきたろうさん。この人の一体どこが衰えているというのだろうと思った。この歳の人、できないよ、空中回転。
●猿飛、サルトルみたいでかっこいいだろ、が個人的に好き。
●サイタの先祖が侍→面白侍、自作の歌を歌う→サイタがたしなむ程度に歌を作って歌う、という繋がり。これ複数回観ないと気づかないかも。
●三人が抱き合うシーン。あそこは実際、ご本人たちは照れちゃう場面ではないかなと。しかし、三人が抱き合ってしばらくして「父さん…」「父さん?」と次の場面に転換していくので、もしかしたら大竹さんときたろうさんは抱き合った時点で気持ちを次の役に切り替えてスタンバイしていたのではないかと勝手に想像する。きたろうさんの抱きつき方がトミエ(女性)っぽいなと思えたので。
●三人だけでの舞台において、斉木さんの独壇場が大竹さんときたろうさんの休憩時間となる、ということに、お二人が気づいたのではないかと、これまた勝手に想像する。
●斉木さんは今回一体何回衣装チェンジをしたのだろう。大変だったのでは。しげるが元気であるかないかが、今後のシティボーイズの存続にかかわっていくのではないかと思いました(笑)
●エンドロールで「どろだんご伊藤」というのが流れた時、客席がざわついたのが面白かった。
●今回の劇伴も最高でした。過去のシティボーイズライブ音楽へのオマージュも感じたような。
●〔追加!〕峰岸?の内臓を喰らうモナリザ。あれ、スイカなんですね。「西瓜割の棒、あなたたちの春に、桜の下ではじめる準備を」ではスイカを割れなかった斉木さんが、時を経て、「燃えるゴミ」でスイカを食べることができたんだな、なんて無理やり繋げて考えてしまいました。
以上。
他に何かあったかも。思い出したらまた書きます。
観た後に何も残らない舞台を目指してきたシティボーイズライブ。
ファイナル(かもしれない)にもってきたのが燃えるゴミ。
きれいに燃えて後は何も残らない。
ファイナルに「ゴミ」なんて言葉を持ってこれる人たちが他にいるんだろうか(いるかもしれませんけど)。
かっこいい。シティボーイズはやっぱりかっこいい。
くだらなさに筋が通っている。
定期ライブを行うのは色々あって難しいのかもしれない。
でも形を変えてまだまだ何かをやってもらいたい。
板の上の三人が最高にかっこよくて好き。
だからpart.2も気負わずお待ちしております。
千秋楽まで無事終わってよかった!
それもまた正直な感想なのでした。
面白かった!
是非またお会いしたい、劇場で、シティボーイズのみなさんに。