モダンスイマーズ「死ンデ、イル。」

2013年12月14日(土)15:00開演 於:ザ・スズナリ
人は、誰かと繋がっている。完全な天涯孤独というものもあるにはあろうが、大抵の人は他者との繋がりの中で生き、その繋がりから自由になることは難しい。自由になりたいと願いながらも、生きていく為には、繋がり合い、均衡を保ち合い、そしてそこでの応分の呼吸を続けなければならない。
「死ンデ、イル。」は物語の中心にいる七海という少女が、じわじわと窒息していく物語であると、私は観ていた。
勿論、窒息していくのは若い七海だけではない。よい年齢の大人たちも、平等に窒息していくのであるが。
その家族は浪江町に住んでいた、その冒頭の情報だけで、この家族に降りかかった災難を十分に知ることとなる。
東日本大震災を体験した人、私のように東京にて強い揺れにより震災の恐ろしさを微塵でも五感で共有した人、感覚はわからないが映像などで見聞した人、この物語が現実に即したものであることをどれだけ肌で感じ取れるか、観る人が誰であるかによっても感受の度合いが分かれる芝居であったとも思う。
七海は修学旅行を楽しみにしていた。
しかし、原発の事故後、<福島から来た人は汚染されている>という誤解が日本中に広がり、ネットでもデマが飛び、そのことで県外に出た福島の人々は、言葉や待遇にて直接傷つけられるという被害を受ける。その為、七海の学校の修学旅行も中止となってしまう。
自由に旅することができないという閉塞。気づかない内に着けられてしまった、透明で見えない枷。
七海から呼吸を奪う、まずは大きな膜がここで広げられる。
七海は両親を亡くしており、たった一人の歳の離れた姉が親代わりとなり、面倒をみてもらってきた。姉の結婚、義兄という存在、微妙な三角の関係での生活。
避難指示区域からの移動を余儀なくされたその一家は、独り身を続ける叔母の狭い家に居候しなければならなくなる。更に窮屈な場所で共に息をしなければならなくなった4人の、その鬱屈を隠し、日々均衡を保とうとするぎりぎりのテンション。
大人たちは相手に覆い被さり、なるべく押さえつけるようにすることで自分を守る。しかし子供に相手を覆う力はない。子供は全てを受け流すようで、実は全てを受け入れていくしかないのだ。
受け入れて受け入れて、日々が流れて行くに任せているだけの子供が、やがて大人たちの鬱屈の火種と決めつけられていく残酷さ。
狭い家、叔母さんの部屋の片隅に仕方なくいる日々、やがてそこにもいられなくなり、七海は押入れに閉じこもる。
家、という小さな膜の中で、更に奪われていく呼吸。
この物語では、追い詰められる人として七海に焦点が当てられているが、追い詰められているのは全員だ。そして七海も含めて、それぞれを追い詰めているのも全員だ。
劇場で配られた「ご挨拶」の蓬莱さんの文章の通り、偶然に<巡り合わせ>た人々は互いに影響され、影響を与える。
偶々家族や知り合いとなった繋がりの、幾つかの閉じた膜の中でそれぞれが窒息していくのだ。
そんな中、七海はそこから<逃げる>ことを選択する。
あるいは全ての関係を断ち切って<我が道を行く>ことを選択する。
大音量の音楽で耳を塞ぎ、必要なことだけを選び抱えて、あとは必要のない世界から、七海は大切な思い出の待つ町へと、海へと、ひとりで歩いていく。
結局七海がどうなったのか。それはハッキリと考えなくてもいい、と私は思う。
七海によって関係を断ち切られた人々がその断たれた綱の断面を認め、そこにできた穴を見つめ、振り返る過程が丁寧に語られたこと、しかも一切の飾りなく、それぞれの正直な気持ちが生々しく語られたこと、薄い建前の向こう側の悲鳴があらわにされなくとも観る者の耳に届いたこと、それらを眺めることで観客は、最後自分を七海に乗せて、あとは自由に、想像を浮遊させることができたのではないかと思う。
叔母が押入れで飼っていた白い蛇は、叔母の心で飼われていたものの象徴だろうかと想像する。叔母の心が閉じる時、その蛇は生餌を求めてそこに居る。
あるいは白い蛇は得体の知れないものの象徴とも想像する。叔母は「最初はあんたたちもこの蛇と同じだった」といったことを言う。それほど自分に全く関わりのない生き物、それも奇妙な存在、自分のテリトリー外の生き物といった感覚だろうか。
深読みをするならば、福島で非難区域に指定された場所に住んでいた人々、いや、全く被害の及んでいない場所の人々も含めて、福島からやって来たというだけで、他県の人間から特別な目で見られ、避けられる人々も、この白い蛇と同じ様な存在にさせられてしまっているのではないか。
と、リアルな物語に登場する唯一幻想的な存在であるこの蛇については沢山の想像に結びついていく。
七海から彼女の言葉=スケッチブックを受け取ったツキのないルポライターは、七海と違って全く思い入れのない町として浪江町に入った。彼にとって震災はただの起死回生のチャンスである。そこで、この町がとても大切な場所として戻ってきた七海と、寄りによって鉢合わせる。彼もまた窒息している。人生における違うルートで窒息してきている。絶望の中で受け取ったスケッチブックは、幸運に転じて彼のライフラインとなるはずであった。彼もまた呼吸を求めた人であった。
人々の繋がりにおいては、誰もが加害者であり、誰もが被害者である
私がいい大人だからだろうか、登場人物全てに心を寄せることができる。
七海の疾走感をただ感じることもできるし、そこに彼女を追いやるまでの大人たちの苦悩も自分に寄せて理解することができる。
ただ解る。七海の疾走は幻想だ。
人は生きている限り、自分の理想の中に完全に逃げ切ることはできない。
だからこそ、ラストに胸が熱くなった。
相反する想いが、想いだけが、七海と共に走っていった、そういった観劇後感であった。
蓬莱竜太さん・モダンスイマーズの作品を観るのは2度目。
去年再演された「楽園」を観て、たった1作目で、得がたい劇団と出会った感覚を覚えた。「楽園」の直後から新作を待ち望んでいた。
2度目の観劇は想像以上に素晴らしかった。
観る者の神経レベルにまで迫ってくる作品を作る人々。
劇場でしか味わえない五感への刺激。
真剣に創っていることがきっちりと伝わってくる。
次回も楽しみにしています。
見逃さないでよかった!

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